僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

児童ポルノ法施行直後のお菓子系

 一九九九年十一月に児童ポルノ法が施行され、「クリーム」をはじめとするお菓子系雑誌は一時壊滅的ダメージを負った。その頃の僕は、自宅から電車で往復約三時間半かけて県外の支社へ通っていたのに加え、本社の上司からは何の業務指示も与えられず、入社三年目でありながら半ば追い出し状態だった。その憂さ晴らしのために、安月給にもかかわらず週一回のペースで会社近くのファッションヘルスに通い、終電に間に合わなければオフィスの床に寝そべるか、たまにもらえるサウナ併設のカプセルホテルの無料券で一夜をしのいだ。


 児ポ法施行直後、僕の手元にあったお菓子系雑誌で今でも記憶に残っているのが「ラッキークレープ」の十二月号だ。表紙を飾った豊谷小百合は撮影時すでに十八歳を過ぎていて、“なんちゃって”お菓子系の範疇だが、水分を吸収してぴたっと体に張りついた赤いスクール水着姿と制服姿、そこらへんにいそうなロリータチックな佇まいという数ページのグラビアだけで、幾度となく勃起と射精を繰り返した。


 当該号はほかにも、五十嵐結花久保亜沙香、大森亜由子らお菓子系ファンなら誰でも知っているモデルが勢ぞろいだが、いずれも豊谷と同様、高校生世代ではないのが児ポ法を見据えてのキャスティングだ。僕は五十嵐がずっと気になっていて、彼女の写真集が欲しくてたまらなかったが、当時は経済的余裕のなさからそれに支出を回せなかったのと、セルビデオ店でグラビアアイドルの写真を売っておらず、一般書店で買うのが気恥ずかしかったこともあってか、かなり後になって中古で手に入れたのを覚えている。


 ラッキークレープは当該号をもって休刊。児ポ法の影響をもろに受けた格好だが、その頃の僕は高校生世代にとりたてて拘りはなく、美少女で体躯がよければ十八歳以上でも自慰対象とみなした。「すッぴん」九八年十一月号の表紙と巻頭グラビアを飾った中島礼香が気になり、のちに写真集「moment」を躊躇なく手に入れたが、それを用いての自慰回数は多くなかったと思う。当時はまだ週末に一日四、五回の固め打ちをするほど性欲が旺盛ではなかったし、まだ社会人三年目ゆえに自慰に明け暮れるほど自身に余裕がなかったからだ。


 また、中島の写真集がお菓子系雑誌に比べて実用性に劣っていたのも、今日において彼女がオナペットだったと振り返られないゆえんだ。数十ページにわたる中島の水着姿よりも、豊谷の数ページのグラビアのほうがずっと記憶に残っているのは、僕がお菓子系雑誌の単純な演出にまんまとはまってしまったからで、スタンダードなグラビアアイドルとは相容れられなかったのかもしれない。


 九〇年代末期の僕の自慰用素材は、お菓子系を中心に回っていた。お菓子系のルーツを辿ると、英知出版の「大海賊」や「すッぴん」で、お菓子系はそれらのテイストをさらに凝縮させた形で、ブルセラオンリーの一点突破で高校生世代の素人モデルを発掘し、僕のような性癖を持つ読者の支持を集めた。僕が今、オークションサイトで中島のデビュー時の作品を手に入れようとするなら、やはり「moment」よりも「すッぴん」だろう。