僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

どうして南みゆかだけが許されるのか

 二〇一四年の児童ポルノ法改正を機に、十八歳未満のグラビアアイドルの商業作品、いわゆる3号ポルノ市場は壊滅状態に追いやられているが、どういうわけか沢口愛華のように大手出版社がしれっと写真集を上梓し、水着姿の性的な部分が殊更に強調されていた。それに対して、児ポ法改正を働きかけた人権団体から何の追及もなかったのは明らかに不自然で、どうして沢口だけが高校生世代の頃に水着の仕事が許されたのかという疑問が、いまだ払拭されていない。


 最近では、南みゆかという十六歳のローカルアイドルグループのメンバーが、大手出版社が発行する漫画誌の巻頭グラビアに起用され、デジタル写真集も発売されている。そのサンプル画像は、僕が今までお世話になったグラビアアイドルの水着姿と遜色なく、不特定多数の男性の自慰用素材にかなう仕上がりとなっている。性的な部分が殊更に強調された3号ポルノが、大手出版社によって堂々とインターネット上で売られているのだ。


 高校生世代をもっぱら自慰用素材に用いている僕にとって、南の画像で性的興奮が昂らないはずがない。しかし、児ポ法改正前は年端もいかない数多の少女がメジャーデビューを目指そうと、大人たちの言われるがままに水着の仕事に挑み、彼女たちを比較検討したうえで写真集やイメージビデオを買い求めていたことを思うと、選択肢が南だけにかぎられている今日の3号ポルノ市場が極めて限定的で、彼女を性欲処理の素材とすることへの抵抗感が増してくる。


 かつての沢口同様、どうして南だけが水着の仕事が許されるのか、という疑念がふつふつと湧いているが、そもそも改正児ポ法が3号ポルノの新作発表の抑止力にもかかわらず、芸能プロダクションと大手出版社が何の臆面もなく彼女たちの商業作品を販売していて、監督官庁や人権団体がスルーしている現状に、もし中小出版社ならたちまち摘発されるだろうと勘繰ってしまう。


 ローカルアイドルの顔を持つ南は先日、出身地である三重県津市の市長を表敬訪問し、その様子が地元紙でも報じられている。繰り返しになるが、ネット上で見られる南のサンプル画像は性的な部分が殊更に強調されていて、児ポ法改正前にデビューしてはメジャーになれずに去っていた高校生世代のグラビアアイドルと大差ない。そんな少女が首長と直接会えるのは、曲がりなりにもローカルアイドルの肩書きがあるからで、水着の仕事だけなら歯牙にもかけられなかっただろう。


 十八歳未満のグラビアイドルのデビューの芽を摘んだ改正児ポ法は、野放し状態だった3号ポルノ、とりわけジュニアアイドル市場の息の根を止めたが、そこに携わっていたのは中小零細の出版社とプロダクションだ。その一方で、沢口と南のようにアイドルグループの一員としてデビューさせたうえで、グラビア要員として大手出版社の媒体を通じて全国区で知られるようになる。明らかに後者のほうが広く世間に知らしめられているはずなのに、人権団体から何のアクションもないのはやはり不自然で、法改正後は知らぬ存ぜぬという同団体の薄っぺらな正義を感じずにはいられない。

何者にもなれなかった者たちよ

 安倍晋三元首相襲撃事件の山上徹也容疑者の供述によると、母親が旧統一教会にのめり込んで家庭崩壊を招き、同団体が安倍氏と昵懇な間柄だったことに端を発しての犯行だったとしている。事件の全貌は司直の手に委ねられるが、平成に入ってすぐの宮崎勤に始まり、加藤智大にしろ植松聖にしろ青葉真司にしろ、令和の今日に至るまで何者にもなれない一人の成人男性がとんでもない大事件を引き起こしているのを鑑みると、一方的な個人的怨恨による凶行は日本社会の病巣であって、それに見て見ぬふりをしている民衆が存在しているかぎり、今後も続くだろう。


 何者にもなれないといえば、僕がこれまでお世話になったオナペットで、女優やタレントになれず陽の目を見られなかった元グラビアアイドルたちは、いったい今どこで何をしているのだろうか。かつての芸名を検索エンジンに入力しても、SNSのアカウントは見つからず、ブログは更新されないままインターネット上に漂っている。ストーカー気質を持ち合わせていないので、彼女たちの現在地を詮索するつもりはないが、引退後ばったりと情報発信が途絶えるのも不自然に思える。


 グラビアアイドルは器量とスタイルさえよければ誰でもなれるほど、デビューの壁は低い。そこからメジャーに上がっていけるかどうかは、本人のコミュニケーション能力や所属プロダクションとマスメディアとのギブアンドテイク次第で、巷間言われる枕営業もその一環だろう。それで成功すれば本人は有名になり、所属先も懐が潤うが、双方の甘言に乗せられて不本意な肉体的取引に応じたにもかかわらず、反故にされて契約終了に追い込まれた女性もいるはずだ。


 元グラビアアイドルが現在、一般人として幸せな家庭を築いていれば、過去を洗い流せているかもしれないが、そうでないのもいるのではないか。芸能活動中は自らの情報発信に余念がなかったほど自己顕示欲が強かったのに、引退後はひたすら沈黙を貫いているのは、単に本人がものぐさなのもあるだろうが、過去の仕事に対して誇りが持てず、思い出したくもない黒歴史だと自覚しているからなのかもしれない。


 芸能界自体が男社会なのは今に始まったことではない。元グラビアイドルの中には、大物芸能人や業界関係者のカキタレで終わってしまったのもいるはずだ。彼女たちが自らの不遇を逆恨みし、遊ばれた相手と刃傷沙汰を起こす復讐劇を不謹慎ながら期待しているのだが、いっこうに報道されない。おそらく多額の手切れ金を積まれたのか、未遂で終わったのか、それとも復讐する気力を根こそぎ奪われるほど肉体的にも精神的にも追い込まれたのか。


 もっとも、器量とスタイルのよさを買われ、富裕層の一般人(青年実業家)のトロフィーワイフに納まる事例も見受けられることから、芸能界でメジャーになれなかったどころか、性的取引に応じても過去の出来事だと割り切って今を幸せに過ごしているだろう。女性は男性に経済的に依存する選択肢があるが、その逆は極めてまれだ。“無敵の人”とは何者にもなれない男性だけに与えられる称号だ。

衰えゆく性的想像力

 僕は今日においても、高校生世代の水着姿を自慰用の素材に用いているが、十代や二十代だった頃に比べて性的想像力は明らかに衰えている。それは、素材となる媒体が雑誌グラビアや写真集といった静止画から、イメージビデオ(IV)に代表される動画へと移行したことが大きな要因で、二〇〇〇年代前半に散々お世話になった写真集への郷愁はあっても、それらを再び手に入れて自慰に勤しむのは何だかもったいない気がするほど、動画で性欲を発散するのがあたりまえになっている。


 素材に動きが加わったことに加え、直截的な演出も性的想像力が削ぎ落とされた要因の一つだ。着エロは言うに及ばず、〇〇年代後半以降、高校生世代のグラビアアイドルも布面積の小さいビキニを着させられ、僕もその恩恵にあずかって自慰を捗らせてくれたが、その流れはジュニアアイドルに裸同然の露出を強いらせ、監督官庁と人権団体に目をつけられた挙句、児童ポルノ法が改正され、十八歳未満の作品は大っぴらに販売できなくなってしまった。


 僕の人生において、最も性欲旺盛で自慰に明け暮れたのは二十九歳から三十一歳にかけてだが、自慰回数が多かったからといって性的想像力も豊かだったわけではない。当時は仕事にも慣れ、気楽な単身者として何の不自由もなく自慰用素材を手に入れることができた。一冊の写真集のページをめくるたびに伝わってくるグラビアアイドルの美少女度と肢体に劣情を抱き、下半身が屹立する。それは能動的でありながら、素材の表情や動きをページ越しに相対しなければ性欲が湧いてこないという受動的な一面もあった。


 自慰用素材が安易に入手できない環境でありながらも、その素材で性欲を放出したい渇望は絶えない。不自由であるほど想像力が逞しくなるという道理に照らせば、学生時代がピークだったのではないか。当時は自分の部屋を持てない家庭内での居心地の悪さから、アイドル雑誌は欲しくても買えなかったり、せっかく買っても家族に見つかるのを恐れて短期間で手放したりしていた。それが素材にしたいアイドルの顔や肢体を記憶の中からあぶり出し、性的想像力を存分に働かせながら射精へと至らしめる原動力になった。


 現実社会でも、身の回りにいた異性に対し、動画や静止画もなく性的想像力だけで自慰できたのは高校生の頃までで、一人暮らしの自由を手に入れた大学生活において、わざわざ同級生や下級生を空想で穢すまでもなかった。もっとも、僕の自慰用素材は高校生世代なのだから、在学中にお菓子系というサブカテゴリ―が勃興したのは好都合で、ロリータコンプレックスと指摘されても反論の余地のない性癖が今日まで続いている。


 二十代後半で素材が直接手元になければ自慰ができなくなり、三十代前半で紙媒体(静止画)を素材に用いなくなった。性的想像力を鍛えるには官能小説がうってつけだが、活字を辿って勃起するくらいなら、美少女のスクール水着姿でありもしない妄想を働かせるのが手っ取り早いと思う僕には、官能小説で射精に至れる文学的素養を持つ御仁への憧憬を抱きつつも、その種の筋書きなら自分で考えて視聴動画とシンクロさせることもできなくはない。

どうして沢口愛華だけが許されたのか

 二〇一四年六月の児童ポルノ法(以下、児ポ法)改正に伴い、十八歳未満のいわゆる3号ポルノについて「殊更に児童の性的な部位(性器等若しくはその周辺部、臀部又は胸部をいう。)が露出され又は強調されているものであり」の一文が追加され、これにより高校生世代のグラビアアイドルの商業作品は大っぴらに販売できなくなった。過去に発売された作品を所持していても、刑事罰の対象になってしまう。


 しかし、一八年に大手出版社が発行する漫画誌のオーディションでグランプリに選ばれた、当時十五歳の沢口愛華はその年代の少女には似つかわしくないスタイルのよさを売りに、写真集を発表したり、各種媒体でも取り上げられたりするほどのトップアイドルとなった。トップアイドルといっても、不特定多数の男性の性欲処理用の素材にすぎないのだが、同世代のライバルがいなかったことから、インターネット掲示板でも沢口を素材に用いているとの卑猥な書き込みが綴られるなど盛り上がりを見せている。


 僕はこれまで沢口を一度も素材に用いたことがなく、むしろどうして彼女だけが堂々と3号ポルノの商業作品を発表できたのかという疑問を抱き続けている。ネット上で見られる沢口の画像や動画は、僕が今まで散々お世話になってきた高校生世代のグラビアアイドルのそれらとは大差がないのに、児ポ法の厳格化を働きかけた人権団体からは何の追及も見られない。


 沢口は水着の仕事だけでなく、地元の企業や行政機関のイメージキャラクターも務めるほど着衣モデルとしても売れっ子だ。不特定多数の男性のオナペットとして写真集の売れ行きが好調な年端もいかない少女を、企業や役所が広告塔に起用するのは今に始まったことではないが、沢口と同じ高校生世代の美少女がグラビアアイドルとしてデビューできないのに、どうして彼女だけが許されるのかという素朴な疑問を持ち続けている僕からすると、彼女の周囲には強力な後ろ盾がついているのではと勘繰ってしまう。


 沢口の作品は明らかに3号ポルノなのに、それを指摘するのはインターネット上でもわずかに見られる程度で、何しろ人権団体が知ってか知らぬか声を大にしていないので、市場に広く流通している。それなら、ほかの芸能プロダクションや出版社も沢口と同世代の美少女を発掘して追随すればいいのに、メジャーのアイドルグループは水着の仕事を十八歳以上に限定し続けているし、ジュニアアイドルも水着を着させなくなっている。どこも二匹目の泥鰌を狙おうとしないのである。
 自分とほぼ同世代の少女が水着の仕事していることに激しく興奮してから三十年以上の歳月が経ち、今日においても児ポ法改正以前の旧作を自慰用素材に用いているが、たとえ沢口が高校生世代の良質な素材であっても、僕の下半身がいっこうに反応しないのは、最初からメジャーデビューありきで彼女の周囲が関係業界に働きかけていた(とされる)露骨な商業主義に加え、どうして彼女だけが水着の仕事を許されたのか、という疑問が解決できないからにほかならない。

グランプリを手にした少女たち

 二〇一四年の児童ポルノ法改正に伴い、十八歳未満のグラビアアイドルの商業作品が大っぴらに発表できなくなり、DMM.com(以下DMM)でも当該作品の販売を見合わせている。いわゆる3号ポルノに括られる写真集やイメージビデオ(IV)を手に入れるには、古書店やオークションサイトで探すか、インターネット上に違法アップロードされた動画に頼るしかない。某動画サイトでは十年以上前に発表された作品の一部が、今でも視聴可能だ。


 一〇年に秋田書店が発行する青年漫画誌のオーディションでグランプリに選ばれた牧野結莉亜、その翌年の菅原梨央堀川美加子は、頻繁にお世話になったオナペットとは言えないまでも、高校生世代の良質な素材として印象に残っている。三人に共通するのは、発表したすべての作品が3号ポルノに相当するので、今日では彼女たちのIVが市場に流通されることなく、また古書店やオークションサイトで運良く入手できても、単純所持の規制により刑事罰の対象になってしまう。


 三人はそこらへんにいるような佇まいの垢抜けていない少女で、そんな彼女たちに水着を着させてデビューさせる秋田書店の人選に、僕は大いに好感が持てた。牧野と菅原は胸も大きく、性的想像力を膨らませるには申し分なかったが、三人の中で最もIVを発表したのは堀川(六作品)だった。堀川はスタイルの貧弱さを補うべく、布面積の小さい水着など露出度の高さと際どい演出で人気を博した。


 堀川は六作目の「Holy Smile」を発表後、学業専念を理由に芸能界を引退。僕は後になってDMMで同作品を購入したが、モデルは高校生世代なのにジュニアアイドルのIVを見ているような感覚で、カメラが胸や下腹部にしつこく迫っていても性的興奮がいっこうに湧いてこなかった。一級品の美少女にちがいないのだが、高校生らしくない肢体が下半身の反応を鈍らせた。


 三人の中で最も自慰回数が多かったのは牧野で、画像と動画の両方で性欲を発散したのを覚えている。美少女度は堀川や菅原に劣るものの、スタイルの良さがそれを帳消しにするほど僕の股間を熱くさせてくれた。ただ、当時のオナペットと肩を並べるほどお世話になったわけでもなく、DMMで動画を買う価値もないと判断し、違法アップロードで事足りた。


 堀川と菅原は自ら引退を発表して芸能界を去っていったが、牧野は一一年二月以降、公式ブログが更新されぬまま、どういうわけか削除されずに残っている。ブログの文面から察するに、地方在住で芸能界に憧れを抱く無知な少女が、グラビアイドルの消費目的をあまりよくわかっていなかったようで、それで芸能活動が短期間で終わってしまったのかもしれない。人前で水着になる仕事が周りに知られて好奇の目で見られ、それに耐えきれなかったことも考えられる。最後の記事が撮影会の告知なのも大いに意味深で、第三者の僕はいくらでも憶測を膨らませられる。

忘れていたオナペット~時東あみ編~

 僕の家計支出において、グラビアアイドルの写真集が最も高い割合を占めたのは、ちょうど三十歳を迎えた二〇〇四年から翌〇五年にかけてだったはずだ。当時は高校生世代でも高い美少女性と抜群のスタイルを兼ね備えたモデルが次々と現れては写真集を発表し、人生において最も性欲が旺盛だった僕の股間を絶えず慰めてくれた。中でも、石井めぐる滝ありさは後続を大きく引き離すほどの自慰回数を記録した。


 石井と滝が強烈なつばぜり合いを繰り広げ、かなり離れて川村ゆきえ島本里沙野崎亜里沙疋田紗也らが二番手集団を形成。三番手以降が即座に思い出せず、後々になって「忘れていたオナペット」として申し訳なく紹介することになってしまう。〇五年九月に彩文館出版からデビュー作「生真面目」を発表した、時東あみ(現・時東ぁみ)もその一人だ。


 度が入っていないながらも、眼鏡をかけた異色のグラビアアイドルとしてデビューした時東は、当時としては斬新な売り込み方とスタイルの良さも相まって、僕は彼女の写真集の発売を心待ちにしていた。その頃は滝の写真集「ありんこ」で狂ったように自慰に明け暮れていて、その箸休めとして、もしかしたら滝と肩を並べるかもしれないという、かすかな期待も込めて「生真面目」や中村静香のデビュー作「WATER COLOR」を買った覚えがある。


 時東も中村も後にメジャーとなり、グラビア以外でも芸能活動の場を広げているが、僕の中ではオナペットとしての伸びしろが見込めず、「生真面目」こそ二十回前後お世話になったが、「WATER COLOR」は十回も使わずに古書店に買い取ってもらったと思う。自慰用の媒体が写真集からイメージビデオ(IV)に移行し、中村の映像作品が発売されても、僕はデビュー作での消化不良から購入意欲がまったく湧かなかった。


 時東も中村同様、「生真面目」以降の作品を買った記憶がなく、二番手集団に追いつくことさえできなかった。時東のグラビアアイドルとしての世間一般の知名度は、石井や滝よりもはるかに高いはずだが、僕の中では彼女たちの存在を脅かすどころか、次作に期待を持たせることなく、今になってようやく思い出すローテーションの谷間の一人にすぎなかったほど評価は高くない。


 しかし、グラビアの仕事をきっかけにいろいろな資格を取得し、それを売りにして今日でも芸能界に身を置いている時東は、グラビア以外の何者にもなれなかった僕の歴代のオナペットよりもグラビア後の人生設計を模索し続け、かといって無理に背伸びした“意識高い系”の芸能人でもない。不特定多数の男性のオナペットに甘んじることなく、防災士としての自分に興味を持ってもらう努力を続けていることは、かつてお世話になった身としては素直に嬉しいし、偉そうな物言いで恐縮だが、これからも防災啓発のために頑張ってもらいたい。

色褪せぬ旧作

 二〇一四年に児童ポルノ法が改正されるまで、十八歳未満のグラビアアイドルによる商業作品、いわゆる3号ポルノは市場に広く出回り、僕も写真集やイメージビデオ(IV)、動画配信による自慰用素材を探し続けてきた。市場自体が消滅してしまった今日において、高校生世代の少女の健康的な肢体を堪能するには、もっぱら過去の旧作に頼らざるを得なくなり、動画サイトで違法アップロードされたものに辿り着くことになる。


 僕の場合、過去のオナペットに再びお世話になることは滅多にないのだが、最近、〇〇年代後半に活動していた、あいかを素材に用いるようになっている。動画サイトでその名前で検索すると、真っ先に沢口愛華の動画が出てくるが、僕はまったくそれに興味がなく、むしろどうして十八歳未満(撮影当時)の彼女だけが堂々と水着姿を披露できるのか、という訝しさが先立つ。


 沢口のおびただしい動画の後に、十年以上前の作品で、僕も所持していたはずの「Angel Kiss ~あいかもね~」と「あい果実」の一部のチャプターが見られるのだが、九〇年代の作品と違って髪型や衣装の古臭さは微塵もなく、少女と大人の狭間で醸し出される健康的なエロチシズムを十分に堪能できる。まだ垢抜けていない一級品の美少女でありながら、布面積の小さい水着からはみ出んばかりの豊かな胸を併せ持ち、僕は性的想像力を高めずにはいられなくなる。


 本稿を書くにあたり、僕はあいかの映像作品が六作目の「SWINUTION」を除く全作品が3号ポルノだと思っていたが、五作目の「あい果実」もそれに該当していないことが、今さらながら気づいた。今でもDMM.comで販売されていて、しかも価格は六百一円(無期限ダウンロード)と、十年以上前の旧作とはいえ、DVDを買った当時との価格差に驚くばかりだ。


 僕はあいかのIVを四作品買うほどオナペットとして重宝していたが、「あい果実」はインタビューやロケ地でのショッピングなどで尺を稼ぐ、いわゆる捨てチャプターがなく、実用度の高い仕上がりだ。ベッドでのビキニ、緑のレオタード、河原でのチューブトップ、砂浜でのビキニ等、どこからでも性的興奮を最高潮に達することができ、中でもレオタード越しに見える胸の立体感がたまらない。


 公式ブログを十年以上更新しておらず、芸能界を事実上引退しているものの、あいかの過去の作品は動画配信サイトで販売され続けている。ただ、僕が今、DMM.comから「あい果実」を購入しても、六百一円の何パーセントかがあいかの手元に渡ることはないと思うと、複雑な気持ちになる。もっとも、あいかにかぎらず、グラビア以外の何者にもなれなかった僕のオナペットの多くは、ブログやSNSで芸能活動の不満や裏話を赤裸々に明かすことなく、一般人として今をひたむきに生きているはずなので、自身の過去にわずかながらの商品価値があったとしても、それに拘泥することはないだろう。