僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

2020-01-01から1年間の記事一覧

2005年のポスト小倉優子

人前で水着姿になるグラビアアイドルは、セックスアピールとして水着越しの胸の膨らみや腰のくびれが重要な要素であるのは言うまでもない。高校生世代を性的対象としていた僕は、成熟途上のそれらにロリータフェイスが加味されると、その素材での自慰回数が…

人生初のイメージDVD

僕の年間自慰回数が三十歳を迎えた二〇〇四年を境に減少を辿っていく一方で、グラビアアイドルの低年齢化はますます進んでいった。今日では、製販ともに十八歳以下の写真集やDVDの発売に及び腰になり、新作がまったく発表されないなど市場は壊滅状態にな…

芸能界への執着は強くても……

十代の頃に英知出版の出版物を自慰の素材として用いていたのがきっかけで、僕の歴代オナペットはメジャーになりきれないのが多数を占めた。北米のプロ野球リーグにたとえると、3Aや2Aクラスの素材で、彼女たちは一九九〇年代までは英知出版と「お菓子系…

実用性を欠いた写真集~篠原直美編~

僕がグラビアアイドルの写真集を集中的に買い求めていたのは、二〇〇〇年代にほぼ集約されるが、オナぺットとして何十回も繰り返し使わせてもらった作品もあれば、ほんの数回きりで古書店行きになった作品もある。雑誌などで事前に情報を知り、その素材に対…

U-18写真集の新陳代謝

十八歳以下のグラビアアイドルが次々とデビューしていた頃は、自室に保管してある写真集の新陳代謝も激しかった。敷布団の下には常時、四、五冊を忍ばせていて、そのときの気分で素材を選んだ。時間が経てば飽きが生じ、古書店に買い取ってもらっては新しい…

メジャーになり損ねた逸材

僕の二〇〇〇年代は、金曜日の夜になるたびに、仕事から帰るやすぐに郊外のセルビデオ店に向かって素材を探す日課が続いた。牛丼チェーン店やセルフサービスの定食店などで適当に夕食を済ませ、週末の食料品を買い込んでから自室に戻り、写真集やDVDを観…

“制コレ”デビューの現在地

二〇〇四年は、僕の人生で年間最多の自慰回数を記録した年だが、最もよく使わせてもらった石井めぐるでさえ全体の一割強にすぎず、素材をとっかえひっかえしながら回数を重ねていった。雨後の筍のごとく、彩文館出版などから十八歳以下のグラビアアイドルの…

最高傑作の写真集との邂逅

僕が石井めぐるを初めて知ったのは、日比谷線の電車に乗ったときに偶然目にした中吊り広告だった。そのグラビアが掲載された写真週刊誌は買わなかったが、名前と顔はしっかり覚えたうえで、写真集の発売を心待ちにしていた。今ならDVDで名の売れたグラビ…

無事是名グラドル

僕が三十歳になった二〇〇四年は、人生における性欲発散の絶頂期だった。結論から言うと、この年の自慰回数は七百六十二回(七百七十二回だったか?)と、一日平均に換算すると二回以上射精していたことになり、翌年からは減少に転じる。残業がなかったら、…

ブレイク前の秋山莉奈

僕の歴代オナペットは、基本的に十五歳から十八歳までの高校生世代で、先に触れた磯山さやかや佐藤寛子のような巨乳美女系と、小倉優子や福愛美のような美少女系に大別される。美少女系といっても、多少なりとも胸の立体感が強調されなければ素材になり得な…

写真集世代の懐古

僕の二十代の自慰素材は、AVに代表される映像媒体ではなく、写真集や雑誌のグラビアがその中心を占めていた。週刊誌や漫画誌で自身の性欲が高まりそうな素材を見つけ、それらの写真集が上梓されるのを期待した。金曜日の夜になると、僕は郊外のセルビデオ…

生徒会長はグラビアアイドル

先述したように、僕は二〇〇二年から六年間、一日の自慰回数を記録してきた。各年とも三百六十五回を大きく上回るほどのルーティンワークとなり、特に〇三年から五年、ちょうど三十歳前後がピークだった。理想的なオナペットが現れれば、おのずと自慰の回数…

求道心高きグラビアアイドル

二〇〇三年を迎え、均整のとれたプロポーションを持つ理想的なオナペットが僕の前に現われた。単なる巨乳グラビアアイドルなら磯山さやかや滝沢乃南らが挙げられるが、彼女たちと異なるのは体脂肪率の低さと芸術的な腰のくびれを保ち、しかも男性に媚びなさ…

“巨乳美少女”の出現

“巨乳美少女”の判断基準は人によって異なるが、僕にとってそれを初めて具現化してくれたのが、滝沢乃南だったと思う。二〇〇二年十二月に発売ざれた一作目の写真集「はじめましてのなみです」を手にしたとき、顔だけでも十分性欲を発散できるほどの美形の少…

垢抜けたら興味なし

僕が初めて矢吹春奈(阿部真理)を知ったのは、一作目の写真集「春夏」を発表した二〇〇二年秋に遡る。僕の自慰素材は基本的に十五歳から十八歳までの女性なので、当時十七歳の矢吹は僕の性的興奮を高めてくれるには絶好の対象で、「春夏」も古書店に出さず…

「お菓子系」の出世頭

一九九九年の児童ポルノ法改正以来、僕は「お菓子系」とすっかり距離を置いていたが、十八歳以下のモデルがまたぞろ誌面を賑わせているのを嗅ぎつけると、セルビデオ店での「クリーム」の立ち読みが欠かせなくなった。その中で、二〇〇二年から〇三年にかけ…

グラビアアイドルの芸能界への執着

小倉優子と入れ替わる形で僕のオナペットになったのは、今でも芸能活動を続けている磯山さやかだった。二作目の写真集「SOFT」(二〇〇二年二月発売)の表紙で強調された磯山の胸の大きさに、僕の下半身は瞬く間に熱くなってしまい、それを買わずにはい…

記憶に残らぬ小倉優子

小倉優子を初めて知ったのは、男性週刊誌のグラビアだった。それから二〇〇一年三月に発売された初めての写真集「恋しくて優しくて」を手にした僕は、ひたすらそれを用いて自慰に勤しんだ。この年の自慰素材は小倉が後続を大きく引き離しているはずで、とに…

公衆トイレと個室ビデオ

僕が書店で自慰用の素材を買って、自室に戻るまで我慢できずに公衆トイレで射精に至った初めてのオナペットは、当時十六歳の山田まりやだ。一九九六年夏、池袋の東武百貨店内にある旭屋書店で、山田のファースト写真集を買った僕はそのまま男性用トイレの個…

フォーエバー「お菓子系」小野田優美編

「お菓子系」モデルの活動期間は数カ月程度で、彼女たちのほとんどはメジャーデビューを果たせずに引退していく。僕の知るかぎり、地上波の番組に出るまでに成り上がったのは児島玲子と浅田真子(現・熊切あさ美)ら片手で数える程度で、彼女たちが掲載され…

フォーエバー「お菓子系」横澤りか編

ブラック企業に入社した僕は、激務の合間を縫ってはロードサイドのセルビデオ店に足を運び、「お菓子系」の雑誌を買って性欲を放出した。素人臭の抜けない十八歳以下の少女が、スクール水着と下着を模したビキニをまとって画一的なポーズをしてくれるだけで…

フォーエバー「お菓子系」中山由香編

一九九六年三月。 就職活動を間近に控えながらも、性欲の抑えられない僕は馴染みの書店で「クリーム」の四月号を買った。そこに掲載されていた中山由香というモデルは、僕の「お菓子系」遍歴を振り返るうえで絶対に忘れてはいけないほどのキーパーソンで、彼…

「お菓子系」全盛期を振り返る

僕の自慰素材が主に十五歳から十八歳までなのを決定づけたのは、九〇年代後半に隆盛を極めた「お菓子系」との出会いだ。素人の少女による体操服(ブルマー)と学生服、スクール水着、下着を模した白ビキニのグラビアという非常にシンプルでクラシカルな構成…

90年代AV備忘録

僕の自慰素材のほとんどは十五歳から十八歳までの女性だが、五、六年周期でAVを用いたくなる。とはいえ、一、二回使わせてもらっただけで飽きてしまい、再びお世話になることはない。唯一、忘れた頃に見返してしまうのは「体育倉庫」という盗撮物で、六分…

最後のアイドル歌手

一九九三年三月。 僕は大学進学のため、独り暮らしの準備を始めた。引っ越し用の荷物を整理する際、数日前に買った一冊の写真集を段ボールの底に忍ばせた。自慰素材として生まれて初めて買った写真集は、新島弥生の「楽園をさがして」だ。 新島は前年から僕…

英知出版の功績

独り暮らしを始める前までは性欲に対して抑制的だった。家族の留守を見計らって自慰しなければならない煩わしさに加え、受験勉強や運動に時間と精力が分散化されていたからだ。それでも、同年代の女性に対して性的興味を持ち、性欲を満たしてくれる素材を探…

江崎まりの思い出

一九九〇年一月。 塾の冬期講習の帰りに立ち寄った書店で、僕は「DELUXEマガジンORE」という雑誌を立ち読みし、巻頭の江崎まりに一カ月半前の高橋由美子並みの衝撃を受けた。八九年度のミスマガジングランプリ受賞者で、メジャーデビューへの布石と…

「大海賊」と高橋由美子

一九八九年十一月二十日。 僕はオナペットを探しに都心へ向かった。その日は月曜日だったが、前日の父兄参観日の代休日で、何の気兼ねもなく上り電車に揺られていた。目指したのは神保町だが、どうやって乗り換えたのかは覚えていない。三越前から半蔵門線を…