僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

衰えゆく性的想像力

 僕は今日においても、高校生世代の水着姿を自慰用の素材に用いているが、十代や二十代だった頃に比べて性的想像力は明らかに衰えている。それは、素材となる媒体が雑誌グラビアや写真集といった静止画から、イメージビデオ(IV)に代表される動画へと移行したことが大きな要因で、二〇〇〇年代前半に散々お世話になった写真集への郷愁はあっても、それらを再び手に入れて自慰に勤しむのは何だかもったいない気がするほど、動画で性欲を発散するのがあたりまえになっている。


 素材に動きが加わったことに加え、直截的な演出も性的想像力が削ぎ落とされた要因の一つだ。着エロは言うに及ばず、〇〇年代後半以降、高校生世代のグラビアアイドルも布面積の小さいビキニを着させられ、僕もその恩恵にあずかって自慰を捗らせてくれたが、その流れはジュニアアイドルに裸同然の露出を強いらせ、監督官庁と人権団体に目をつけられた挙句、児童ポルノ法が改正され、十八歳未満の作品は大っぴらに販売できなくなってしまった。


 僕の人生において、最も性欲旺盛で自慰に明け暮れたのは二十九歳から三十一歳にかけてだが、自慰回数が多かったからといって性的想像力も豊かだったわけではない。当時は仕事にも慣れ、気楽な単身者として何の不自由もなく自慰用素材を手に入れることができた。一冊の写真集のページをめくるたびに伝わってくるグラビアアイドルの美少女度と肢体に劣情を抱き、下半身が屹立する。それは能動的でありながら、素材の表情や動きをページ越しに相対しなければ性欲が湧いてこないという受動的な一面もあった。


 自慰用素材が安易に入手できない環境でありながらも、その素材で性欲を放出したい渇望は絶えない。不自由であるほど想像力が逞しくなるという道理に照らせば、学生時代がピークだったのではないか。当時は自分の部屋を持てない家庭内での居心地の悪さから、アイドル雑誌は欲しくても買えなかったり、せっかく買っても家族に見つかるのを恐れて短期間で手放したりしていた。それが素材にしたいアイドルの顔や肢体を記憶の中からあぶり出し、性的想像力を存分に働かせながら射精へと至らしめる原動力になった。


 現実社会でも、身の回りにいた異性に対し、動画や静止画もなく性的想像力だけで自慰できたのは高校生の頃までで、一人暮らしの自由を手に入れた大学生活において、わざわざ同級生や下級生を空想で穢すまでもなかった。もっとも、僕の自慰用素材は高校生世代なのだから、在学中にお菓子系というサブカテゴリ―が勃興したのは好都合で、ロリータコンプレックスと指摘されても反論の余地のない性癖が今日まで続いている。


 二十代後半で素材が直接手元になければ自慰ができなくなり、三十代前半で紙媒体(静止画)を素材に用いなくなった。性的想像力を鍛えるには官能小説がうってつけだが、活字を辿って勃起するくらいなら、美少女のスクール水着姿でありもしない妄想を働かせるのが手っ取り早いと思う僕には、官能小説で射精に至れる文学的素養を持つ御仁への憧憬を抱きつつも、その種の筋書きなら自分で考えて視聴動画とシンクロさせることもできなくはない。