僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

フォーエバー「お菓子系」中山由香編

 一九九六年三月。
 就職活動を間近に控えながらも、性欲の抑えられない僕は馴染みの書店で「クリーム」の四月号を買った。そこに掲載されていた中山由香というモデルは、僕の「お菓子系」遍歴を振り返るうえで絶対に忘れてはいけないほどのキーパーソンで、彼女を思い出すたびに惜敗続きだった就職活動の苦い記憶が甦る。
 中山はどこにでもいそうな当時十五歳のモデルだが、どこにでもいそうな女性がスクール水着姿や下着を模した白ビキニ姿を披露してくれることに、僕は極度に興奮した。七ページのグラビアと綴じ込みのポスター。たったそれだけの内容にもかかわらず、僕は精液の飛沫が付着してページがめくりにくくなるほど、彼女を素材に用いて自慰に耽った。
 「クリーム」で中山のグラビアが掲載されたのは九六年四月号だけで、ほかの雑誌の掛け持ちもなかった。おそらく「お菓子系」ファンにとっても知る人ぞ知るマニアックな存在で、本人自体も撮影に参加したことを忘れているかもしれないが、僕にとっては大変重要な人物で、その後も古書店で当該号を定価の四倍近くで入手するほど、オナペットとして重宝させていただいた。
 当該号で未掲載の中山のグラビアは、その年の七月に刊行された「クリーム写真集3」で掲載され、僕は喉から手が出るほど欲しかったが、一方でたかが七ページのために買うことへの抵抗と金銭的問題によって立ち読みで我慢した。僕は就職活動で来ていた長野市内のコンビニでそれを何度も見返し、スクール水着越しの胸の立体感に性欲が高ぶり、宿泊先でそれを思い出しながらペニスをしごき、射精に導いた。同じく秋田へ移動の際、寝台列車の個室でも中山のグラビアを脳内であぶり出しながら自慰に勤しんだ。素材が眼前になく想像のみによる自慰は、中山以降今日まで存在しない。
 就職活動が終わり、卒業論文を書くためにアパートと図書館を往復する日々が続き、帰り道に書店で「お菓子系」雑誌を物色する日々が続いたが、中山に匹敵するオナペットはなかなか見つからず、オーバーエイジ枠(十八歳以上)でメジャーになる前の小島可奈子しか記憶に残っていない。「お菓子系」の人気モデルは、当時なら浅川千裕(現・浅川稚広)、その翌年なら相川みさおが有名だが、僕はその二人を素材に用いた覚えはない。
 僕の偏見かもしれないが、「お菓子系」モデルの大半はメジャーになる気などさらさらなく、小遣い感覚でグラビア撮影に応じていただけではないか。何の芸能スキルがなくても、学生服と体操服、スクール水着と画一的な衣装で撮影に応じるだけでギャラがもらえる。読者のほとんどが自慰の素材として用いていることも知っているはずだが、「どうせ長くやる仕事じゃないんだから」と割り切っていたからこそ、彼女たちは撮影に参加してくれたのだと思う。
 おそらく中山もその一人で、下着を売ったり売春したりするよりはましだという考えがあったのではないか。性の商品化に加担しているのは否めないが、彼女たちの中には学費や家計の足しに撮影に応じるケースもあったはずで、のちの児童ポルノ法による規制はそういった仕事の機会を完全に失わせたと言える。