僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

「お菓子系」全盛期を振り返る

 僕の自慰素材が主に十五歳から十八歳までなのを決定づけたのは、九〇年代後半に隆盛を極めた「お菓子系」との出会いだ。素人の少女による体操服(ブルマー)と学生服、スクール水着、下着を模した白ビキニのグラビアという非常にシンプルでクラシカルな構成に、マイナー志向の僕はすぐにはまってしまった。初めて買ったのはナンバーのない「クリーム写真集」だ。
 九〇年代前半から「すッぴん」を愛読している僕にとって、「お菓子系」の虜になるのは当然の流れで、以降AVを素材としての自慰はめっきり減ることになる。裸体よりも水着姿の女性に性的興奮を覚える同好の士は、当時僕の周りにいなかった。しょっちゅう下宿先に出入りしていた同級生に「クリーム写真集」での自慰を勧めると、彼は露骨に拒否反応を示すほどだったので、僕は誰にも自らの性的志向を打ち明けなくなった。
 会社勤めになってからも、「お菓子系」は僕の性欲を満たしてくれた。その頃になると、ワッフルだのホイップだの類似の雑誌も発刊され、モデルも掛け持ちするほど市場が広がった。彼女たちはアイドルではないため、歌唱力も演技力もトーク力も必要とせず、普段着ているものと違った学生服や体操着、水着を身にまとうだけでギャラがもらえ、僕はその雑誌を買うだけで満足した。
 しかし、撮影会に参加したモデルが性犯罪に巻き込まれたという報道に加え、モデルがAV女優に転じたという事実を知るにつれ、僕は「お菓子系」が当時の援助交際紙一重なのでは、ときな臭さを感じるようになった。小規模の出版社が安い制作費でグラビア界に新たなジャンルを築いた功績は大きいが、小遣い感覚で集まった十八歳以下の素人を利用しようとする大人たちの悪巧みも誌面から感じ取っていた。
 九九年の児童ポルノ法施行に伴い、モデルから十八歳以下の女性がいっせいに姿を消し、市場は壊滅状態となる。競合誌は姿を消し、唯一残った「クリーム」も着エロまがいの誌面構成に僕は愕然とし、すっかり興味を失ってしまった。翌年は個室ビデオ店に出入りしてAVを物色したり、十八歳以上のグラビアアイドルを素材にしたりと、オナペット探しは迷走した。
 どういうわけか、十八歳以下のモデルは〇一年頃にしれっと復活し、僕も「クリーム」出身のグラビアアイドルをオナペットにするのだが、それ以降は「お菓子系」にかぎらず、芸能プロダクションも十八歳以下のモデルを抱えて各種媒体に売り込むようになり、「クリーム」を読まなくてもオナペットが探せるようになった。紙媒体で数ページのグラビアが掲載されても、すぐにイメージビデオが発売されるので、雑誌を買う必要性は薄れた。
 「クリーム」は児童ポルノ法改正の弾圧にも屈さず、現在でも隔月刊ながら「お菓子系」の孤塁を守っているが、僕が夢中だった「クリーム」のモデルはコスプレイヤーではなく、どこにでもいそうな素人で、しかも短い活動期間で去っていった人たちだ。中には一度きりの掲載にもかかわらず、長年にわたって僕の性欲を放出させてくれたモデルもいる。彼女たちの名前は永遠に忘れないだろう。
 「クリーム」を毎月書店でチェックしたのは九〇年代後半の約四年間で、いろいろなモデルのお世話になったが、特に印象的だったオナペットを振り返る。