僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

何者にもなれなかった者たちよ

 安倍晋三元首相襲撃事件の山上徹也容疑者の供述によると、母親が旧統一教会にのめり込んで家庭崩壊を招き、同団体が安倍氏と昵懇な間柄だったことに端を発しての犯行だったとしている。事件の全貌は司直の手に委ねられるが、平成に入ってすぐの宮崎勤に始まり、加藤智大にしろ植松聖にしろ青葉真司にしろ、令和の今日に至るまで何者にもなれない一人の成人男性がとんでもない大事件を引き起こしているのを鑑みると、一方的な個人的怨恨による凶行は日本社会の病巣であって、それに見て見ぬふりをしている民衆が存在しているかぎり、今後も続くだろう。


 何者にもなれないといえば、僕がこれまでお世話になったオナペットで、女優やタレントになれず陽の目を見られなかった元グラビアアイドルたちは、いったい今どこで何をしているのだろうか。かつての芸名を検索エンジンに入力しても、SNSのアカウントは見つからず、ブログは更新されないままインターネット上に漂っている。ストーカー気質を持ち合わせていないので、彼女たちの現在地を詮索するつもりはないが、引退後ばったりと情報発信が途絶えるのも不自然に思える。


 グラビアアイドルは器量とスタイルさえよければ誰でもなれるほど、デビューの壁は低い。そこからメジャーに上がっていけるかどうかは、本人のコミュニケーション能力や所属プロダクションとマスメディアとのギブアンドテイク次第で、巷間言われる枕営業もその一環だろう。それで成功すれば本人は有名になり、所属先も懐が潤うが、双方の甘言に乗せられて不本意な肉体的取引に応じたにもかかわらず、反故にされて契約終了に追い込まれた女性もいるはずだ。


 元グラビアアイドルが現在、一般人として幸せな家庭を築いていれば、過去を洗い流せているかもしれないが、そうでないのもいるのではないか。芸能活動中は自らの情報発信に余念がなかったほど自己顕示欲が強かったのに、引退後はひたすら沈黙を貫いているのは、単に本人がものぐさなのもあるだろうが、過去の仕事に対して誇りが持てず、思い出したくもない黒歴史だと自覚しているからなのかもしれない。


 芸能界自体が男社会なのは今に始まったことではない。元グラビアイドルの中には、大物芸能人や業界関係者のカキタレで終わってしまったのもいるはずだ。彼女たちが自らの不遇を逆恨みし、遊ばれた相手と刃傷沙汰を起こす復讐劇を不謹慎ながら期待しているのだが、いっこうに報道されない。おそらく多額の手切れ金を積まれたのか、未遂で終わったのか、それとも復讐する気力を根こそぎ奪われるほど肉体的にも精神的にも追い込まれたのか。


 もっとも、器量とスタイルのよさを買われ、富裕層の一般人(青年実業家)のトロフィーワイフに納まる事例も見受けられることから、芸能界でメジャーになれなかったどころか、性的取引に応じても過去の出来事だと割り切って今を幸せに過ごしているだろう。女性は男性に経済的に依存する選択肢があるが、その逆は極めてまれだ。“無敵の人”とは何者にもなれない男性だけに与えられる称号だ。