僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

2005年のポスト小倉優子

 人前で水着姿になるグラビアアイドルは、セックスアピールとして水着越しの胸の膨らみや腰のくびれが重要な要素であるのは言うまでもない。高校生世代を性的対象としていた僕は、成熟途上のそれらにロリータフェイスが加味されると、その素材での自慰回数がたちまち増えていく。二〇〇四年の石井めぐるはその象徴で、週末のたびに一日四、五回の固め打ちをしていたのを今でも懐かしく思う。
 ポスト石井として疋田紗也が浮上し、〇五年の前半は彼女をよく使わせてもらったが、もう一人、中村知世を挙げたい。一作目の写真集「知世初見世」を発売した当時、すでに高校を卒業していて、僕はそれを用いるのにいささかの逡巡があったものの、かつての小倉優子を彷彿させるロリータフェイスに、年齢のこだわりなどどうでもよくなった。つい数か月前までは現役世代だったのだからと割り切った。
 中村は決して胸が大きいとは言えず、写真集の構成も中途半端な肌の露出が目立ったが、それでも本稿であえて紹介するのは、僕が〇一年から〇二年二かけて僕の股間を絶えず熱くさせてくれた小倉の再来を実感したからだ。石井や川村ゆきえのような胸の大きいモデルへの性的興味が増していく一方で、小倉のような肢体は二の次というモデルへの性的興味もまだ薄れていないことを、中村が証明してくれた。
 中村が小倉を尊敬しているというのも、両者を素材として用いたことがある僕にとっては合点がいくわけで、惜しむらくはもっと早くデビューしていたら、僕の自慰回数も増えていったにちがいない。中村は一八年に結婚するまでコンスタントに映像作品を発表してきたが、僕が彼女の作品を買ったのは「初見世」と中古で買ったDVD「知世白書」だけだ。「知世白書」では、水着が透けているかどうかを心配して恥ずかしがる表情に妙に興奮したのを今でもはっきり覚えているが、新作が発表されるたびに垢抜けていく中村に、僕の性的興味は薄れていった。
 そもそも中村は女優として芸能界入りし、スーパー戦隊シリーズに出演して知名度を上げるなど、決してグラビア偏重ではない。女優業だけ続けていれば、僕のようなオナニストの性的対象にならずに済んだのに、結婚するまでグラビアの仕事を続けていた。本人がそれを望んでいたかどうかは知るよしもないが、年を重ねるごとに露出過度になっていったのは、かつてお世話になった者として痛々しさを覚える。小倉を尊敬していたとはいうものの、彼女のすべてを真似できなかったから、芸能活動晩年は着エロを志向せざるを得なかった。誰もが小倉のような要領がいいだけの“脱グラビア”芸能人になれるわけでもない。
 しかし、同じ十年選手だった川村や原幹恵が抜群のプロポーションを保っていたのに対し、やや見劣りする中村もグラビア市場をリードし続けていたのは十分評価されてもいい。女優としての仕事は中途半端だったが、それでも芸能界でしっかり名を残せたのだから、僕の中では小倉よりもプロ意識に徹したをグラビアアイドルだと思っている。