僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

メジャーへの高き壁

 僕がお世話になったオナペットのほとんどは、歌手や女優、タレントの肩書きを得られず、地上波のコンテンツでスポットライトを浴びることなく芸能界を去っていった。高橋由美子小倉優子磯山さやかなど数少ない例外はあるが、彼女たちもいきなりメジャーデビューの機会は与えられず、マイナーな版元での雑誌グラビアや写真集という下積みを重ねたうえで、芸能界でも広く知られるようになった。
 

 僕の場合、「大海賊」という当時のA5判アイドル雑誌の中でも「BOMB!」や「DUNK」に比べてマイナーっぽさ漂う媒体で高橋を知った経験から、学生時代は同じ英知出版の「すッぴん」を毎月チェックした。ただ、高校生の頃は「Momoco」や「Up to boy」といったメジャー誌も自慰用素材に用いるほどで、当時はまだメジャーとマイナーの線引きがなかった。
 

 僕がマイナー志向へと傾倒していったのは九〇年代後半の「お菓子系」との邂逅で、その頃からメジャーなアイドルを素材に用いることへの興味を失っていった。例えば、優香や小池栄子深田恭子ハロー!プロジェクトのメンバーなど、いずれも写真集を発表してそれなりの人気を博したが、僕は今日に至るまでそれらを一度も用いたことがない。社会人になったばかりの生活苦で写真集を買うほどの経済的余裕がなかったこともあるが、僕が求める自慰素材の基準は素人っぽさが残っているかどうかであり、ワンコインで買えるお菓子系雑誌で十分満足感が得られた。
 

 児童ポルノ法施行でお菓子系は一旦壊滅に追いやられたが、大手メディアによるグラビアアイドル囲い込みの流れは変わらず、僕はメジャーになりきれない素材を選んでは性欲を発散した。〇〇年代後半からはAKB48が台頭してくるが、メンバーが単体で水着姿を披露する媒体を目にしても、僕の性的興味は昂らなかった。言い換えれば、僕がオナペットとみなしたグラビアアイドルは年代を問わず、総じてメジャーへのハードルの高さを乗り越える技量がなかったと言えよう。
 

 アイドルの本分が歌手だった八〇年代までとは異なり、九〇年代以降はとりあえずグラビアでデビューさせてから女優やタレントを目指そうとする流れが続いているが、狭き門のオーディションで選ばれたメジャークラスはほんのわずかで、その他大勢はグラビアの下積みから成り上がっていくしかない。「女優になれるよ」などという大人たちの甘言に乗せられ、結局グラビアだけで何者にもなれなかったのは決して本人の自己責任だけではなく、各種メディアと芸能プロダクションの育成能力を欠いた商業主義にも原因がある。
 

 優香らメジャーからスタートした元グラビアアイドルは、今日でも芸能人として世間に広く知られているが、マイナー組のほとんどは僕のような性癖を持つ男性諸氏のオナペットで終わってしまった。勘違いしたファンによるストーカー行為に嫌気がさしたり、所属先とのギャランティーの取り分をめぐって紛糾したりして、芸能界への夢をあきらめてしまったのもいるだろう。グラビアデビューの垣根が低く、粗製乱造のシステムだったゆえに、マイナー組はグラビアで終わるべくして終わったのである。