僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

駆け引き知らずの少女たち

 僕は平成期のほとんどにおいて、グラビアアイドルの写真集やイメージビデオを自慰用の素材に用いてきた。ファンとしてではなくオナペットとして、ひたすら性欲発散のためにそれらを買い求めてきた自己嫌悪と背徳感から、本人と直接会える握手会やサイン会に足を運ぶのを憚った。だから、それらのイベントにどういう人たちが集まって、どのような空間を醸し出しているのかまったくわからない。


 年端もいかない少女が、大勢の大人たちの前で素肌を晒しながら笑顔を振りまくのは相当恥ずかしいはずだ。しかし、それがグラビアアイドルのスタンダートである以上、断れば干されるだけだ。彼女たちはメジャーになるための代償として、水着姿になるのを厭わず、また自分の作品が不特定多数の男性の自慰に使われることもわかったうえで仕事に臨んではみたものの、残念ながらそのほとんどは次のステージへ行けぬまま、人知れず去っていった。


 僕は主に高校生世代のグラビアアイドルにお世話になったが、彼女たちは果たしてグラビアから先の人生設計を立てていたのだろうか。プロダクションに籍を置いたばかりだから、自己主張もできずに社長やマネジャーの言われるがまま右から左へと仕事をこなしていただけではないか。女優やタレントになりたいと夢見ても、経営者側は次から次へと新人をデビューさせるので、セールスが芳しくないのに対しては見切りをつけるのも早かっただろう。


 デビュー時に歌唱力や演技力が要求されないので、プロダクションは器量とスタイルのよい少女を集めるだけでグラビアアイドルを市場に供給できる。半グレ集団のリーダー格が経営していた事例もあることから、女衒のようなモデルの調達能力が求められる。しかし、スカウトに長けていても、タレント育成が欠けていてはグラビアから先に進みたくても進められるはずもなく、少女たちはグラビアの仕事を続けていることに疑問を持ち、所属先から離れていく。


 また、無名のグラビアアイドルは、私生活においてはまだ一般人だ。芸能コースがある都内の高校に通うメジャー級と違って、彼女たちは地元の高校に通いながら芸能活動を両立しなければならず、周囲から好奇の目で見られることになる。保守的な土地柄であればあるほど、心ない人々から誹謗中傷を浴びせられたり、ストーカーまがいの嫌がらせを受けたりすることもあるはずで、それらに耐えきれずにグラビアの仕事を放擲してしまったのもいるだろう。


 グラビアアイドルという定義を確立させたのは、堀江しのぶかとうれいこを世に送り出した野田義治だと思われるが、彼の場合は芸能界での長い付き人経験があったからこそ、その人脈を駆使して新人をいきなりメジャーデビューさせることができた。しかし、二〇〇〇年以降、グラビアアイドルで一山当てようとするメディアもプロダクションも、野田のような敏腕さを欠いていたゆえに、育成ではなく即戦力に偏ってタレントを使い捨て同然で酷使していった。僕もその恩恵にあずかったわけだが、グラビア以外で名を残せなかったオナペットたちを振り返ると、もうちょっと大人との駆け引きができていたらと残念でならない。