僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

古き良きお菓子系写真集

 お菓子系雑誌の代表格である「クリーム」は、一九九四年からほぼ一年おきに別冊の「クリーム写真集」を発刊していた。写真集といっても二、三千円もするほど高価なものではなく、千円でおつりが帰ってきて、しかも本誌に登場した複数のモデルによる総集編というコストパフォーマンスに優れた自慰用素材だった。僕がお菓子系というジャンルを知ったのも、書店でこのムックを手に取ったからで、それ以来お菓子系雑誌とは切っても切れない関係になった。


 九九年十一月の児童ポルノ法施行直前まで、お菓子系はクリームだけでなく、いくつかの競合誌があるほど僕のような性癖を持つ読者の支持を集めた。そこそこ人気があるモデルは単体での写真集を発表し、お菓子系がグラビアアイドルのサブカテゴリ―として市場で認知されるようになったが、児ポ法施行で十八歳未満のモデルの掲載を見合わせるようになると、彼女たちは活動の場を失ってしまった。


 児ポ法施行前に発表されたお菓子系アイドルの写真集として、本ブログでは以前、小野田優美の「夏色のスケッチ」を挙げたが、今回は菊池りえの「M.U.K.U」を紹介したい。今振り返ると、九八年十月に発表された同作品は、もしかしたら「夏色のスケッチ」よりも実用的で、自慰回数も多かったのではないか。ヤフオク!に出品されているサンプル画像を見ながら、自慰に耽っていた当時の記憶がよみがえる。


 「M.U.K.U」は、心交社の「美少女アルバム」シリーズの二作目として発売。表紙には「ゆらぎの中の16才」というサブタイトルがあしらわれ、制服姿に当時流行りのルーズソックスとブルセラチックな表紙写真に、一般書店で買うのは気が引けるが、幸いにも僕はそれをセルビデオ店で入手した。


 心交社の作品といえば、ジュニアアイドルの過度な露出が売りのイメージビデオがすぐに思い浮かぶが、「M.U.K.U」にはまだその片鱗が見られない。ただ、お菓子系の枠にとらわれない衣装や見せ方を菊池に求め、その大胆な試みに僕の股間を幾度となく熱くさせた。下着姿になったり、Tバックを履かせたりするようなわかりやすい着エロではなく、制服姿でもスカートの奥が見えそうで見えないという絶妙なバランスに、素人臭さが抜けきれない菊池の表情が合わさる。メジャーアイドルの写真集では絶対に味わえない醍醐味だ。


 さらに、海賊やボディコン、チアリーダーを模したコスプレも披露。いずれも体のラインが強調され、下半身が見えそうで見えないというお菓子系のグラビアにはない攻めた演出で、かといって着エロのような露骨さもなく、性的想像力を養うにはうってつけの作品だと思う。惜しむらくは、菊池がもっと遅く生まれていたら、児ポ法施行による自主規制の影響を受けず、福愛美のようにお菓子系アイドルとして息の長い活動ができたのではないだろうか。

児童ポルノ法施行直後のお菓子系

 一九九九年十一月に児童ポルノ法が施行され、「クリーム」をはじめとするお菓子系雑誌は一時壊滅的ダメージを負った。その頃の僕は、自宅から電車で往復約三時間半かけて県外の支社へ通っていたのに加え、本社の上司からは何の業務指示も与えられず、入社三年目でありながら半ば追い出し状態だった。その憂さ晴らしのために、安月給にもかかわらず週一回のペースで会社近くのファッションヘルスに通い、終電に間に合わなければオフィスの床に寝そべるか、たまにもらえるサウナ併設のカプセルホテルの無料券で一夜をしのいだ。


 児ポ法施行直後、僕の手元にあったお菓子系雑誌で今でも記憶に残っているのが「ラッキークレープ」の十二月号だ。表紙を飾った豊谷小百合は撮影時すでに十八歳を過ぎていて、“なんちゃって”お菓子系の範疇だが、水分を吸収してぴたっと体に張りついた赤いスクール水着姿と制服姿、そこらへんにいそうなロリータチックな佇まいという数ページのグラビアだけで、幾度となく勃起と射精を繰り返した。


 当該号はほかにも、五十嵐結花久保亜沙香、大森亜由子らお菓子系ファンなら誰でも知っているモデルが勢ぞろいだが、いずれも豊谷と同様、高校生世代ではないのが児ポ法を見据えてのキャスティングだ。僕は五十嵐がずっと気になっていて、彼女の写真集が欲しくてたまらなかったが、当時は経済的余裕のなさからそれに支出を回せなかったのと、セルビデオ店でグラビアアイドルの写真を売っておらず、一般書店で買うのが気恥ずかしかったこともあってか、かなり後になって中古で手に入れたのを覚えている。


 ラッキークレープは当該号をもって休刊。児ポ法の影響をもろに受けた格好だが、その頃の僕は高校生世代にとりたてて拘りはなく、美少女で体躯がよければ十八歳以上でも自慰対象とみなした。「すッぴん」九八年十一月号の表紙と巻頭グラビアを飾った中島礼香が気になり、のちに写真集「moment」を躊躇なく手に入れたが、それを用いての自慰回数は多くなかったと思う。当時はまだ週末に一日四、五回の固め打ちをするほど性欲が旺盛ではなかったし、まだ社会人三年目ゆえに自慰に明け暮れるほど自身に余裕がなかったからだ。


 また、中島の写真集がお菓子系雑誌に比べて実用性に劣っていたのも、今日において彼女がオナペットだったと振り返られないゆえんだ。数十ページにわたる中島の水着姿よりも、豊谷の数ページのグラビアのほうがずっと記憶に残っているのは、僕がお菓子系雑誌の単純な演出にまんまとはまってしまったからで、スタンダードなグラビアアイドルとは相容れられなかったのかもしれない。


 九〇年代末期の僕の自慰用素材は、お菓子系を中心に回っていた。お菓子系のルーツを辿ると、英知出版の「大海賊」や「すッぴん」で、お菓子系はそれらのテイストをさらに凝縮させた形で、ブルセラオンリーの一点突破で高校生世代の素人モデルを発掘し、僕のような性癖を持つ読者の支持を集めた。僕が今、オークションサイトで中島のデビュー時の作品を手に入れようとするなら、やはり「moment」よりも「すッぴん」だろう。

忘れていたオナペット~松山まみ編~

 僕がこれまでお世話になってきたオナペットは、ほとんどが十八歳以下のメジャーになりきれていないグラビアアイドルに限られ、美少女度の高さと体躯のよさを兼ね備えているのに対しては、自慰回数がぐんぐんと増えていった。一方で、小倉優子のように体躯が年相応の十人並みでも、それを補って余りある美少女の顔立ちに魅了され、写真集を買わずにいられなくなったのも少なくない。


 以前、本ブログでポスト小倉優子として中村知世を挙げたが、彼女の前にすでに小倉の系譜を受け継ぐ松山まみがいたことが、今になって気づいた。青森出身の松山は中学生のときに小倉と同じプロダクションに所属。二〇〇三年十一月に写真集「まみラシク歩イテク。」でデビューした。年相応の第二次性徴が進行中の体つきでスクール水着を着こなす表紙に、僕は女子中学生で性欲を発散してみたくなった。


 撮影当時は中学三年なので、ジュニアアイドルという括りになるが、その頃は過度な露出もなく、せいぜいビキニ姿を披露してくれるだけだった。それも下腹部はすっかり覆われていたが、性的想像力を高めるのに何ら支障はなかった。今では時代遅れの感が否めないが、当時はスクール水着や体操服といったブルセラ要素さえあれば、僕の下半身はたちまち屹立した。


 松山は〇五年三月に二作目の写真集「告白~伝えたい思い~」を発表。一作目でそれなりの自慰回数を稼いだので、僕は躊躇なく二作目を購入した。しかし、その頃は石井めぐる島本里沙など見事な体躯の美少女が次々とデビューし、僕もそれらをとっかえひっかえ素材に用いていたので、単なる美少女では物足りなさを感じた。結局、一作目ほどの自慰回数を重ねることなく、古書店送りになったと思う。


 僕の人生において年間の最多自慰回数を記録した〇四年は、石井を筆頭に島本や川村ゆきえなど器量もスタイルも抜群の高校生世代が相次いでデビューしたから、器量だけの素材は写真集こそ手に入れたものの、オナペットとみなすほど重宝しなかった。瀬戸早妃(現・咲嬉)や高橋幸子ら何人かの名前が挙がるが、いずれも巨乳美少女の箸休めにすぎず、松山もその一人だった。


 松山は高校生世代の三年間をほぼグラビアの仕事に費やし、女優への道を進んだが、いくつかの端役をもらった程度で芸能活動が途絶えてしまった。グラビアアイドル上がりの誰もが綾瀬はるかのようになれるわけでもないが、彼女の場合は本人の努力と老舗プロダクション所属なのでスタートラインが異なる。松山の所属先でブレイクしたのは小倉や眞鍋かをりに代表される“意識高い系”のタレントで、彼女たちのようなコミュニケーション能力がなければレースクイーンに回された。新興ゆえに女優を育てるノウハウがなかったのが、松山にとって不運だったのかもしれず、あらためてグラビア後の芸能人生設計の難しさが窺える。

忘れていたオナペット~石川佳奈編~

 自慰用素材を探す手段をもっぱら雑誌媒体に頼っていた頃、僕はいつも駅の売店やコンビニでヤングサンデーの表紙をチェックしていた。競合誌がメジャー級のグラビアアイドルを起用するのに対して、ヤンサンは素人っぽさを残した新人がいきなり巻頭を飾ることがあり、二〇〇一年の山吹美奈斗(鍵山由佳)がその例だ。巻頭や巻末のグラビアだけが目当てで、定期購読でもなかったので、掲載作品はほとんど読まなかった。


 この年は山吹のほかに、石川佳奈がヤンサンでグラビアデビューを果たした。ヤフオク!に出品されている当該号の表紙を見て、僕はこれを買ったことをすぐに思い出した。石川は十五歳とまだ中学生だったが、ビキニブラ越しに見える両胸の立体感に劣情が掻き立てられ、抑えきれぬ性欲を発散せずにはいられなくなった。巻頭と巻末の十二ページ立てで、水着の布面積が大きくても性的想像力を働かせるのに何ら問題はなかった。


 当時のグラビアアイドルは、雑誌での数ページの掲載から写真集を発表するのがお決まりのパターンだったが、石川も〇一年五月にデビュー作「kana」を発表。帯には「ピッカピカの16歳!」とあるが、石川は四月生まれなので撮影時は十五歳の中学生だったはずだ。今でいうジュニアアイドルだが、布面積の小さい水着を着せられたり、性行為を想起させる仕草を見せたりするわけでもなく、極めて健全な仕上がりの作品だった。


 石川はその後も雑誌グラビアの仕事をもらい、ヤンサンの巻頭にも再び登場。僕も大変お世話になったが、石川のような高校生世代のグラビアアイドルが次々とデビューしてきて、写真集も発表するようになった。僕はそれを買い求め、使用頻度が少なくなったのは古書店行きとなった。「kana」もその一つで、気がついたら手元になくなっていた。小倉優子とデビュー時期が重なるが、彼女に比べて自慰回数が伸び悩んだのは、表情や衣装がどこか単調だったからだと思う。


 石川は映画やドラマの端役をもらって芸能界に籍を置いていたが、〇七年一月に約六年ぶりとなる二作目の写真集「jewel」を発表。すっかり大人の女性の雰囲気を醸し出している表紙に、僕は戸惑いを覚えながらも、かつてのオナペットだった義理を果たすためにそれを購入した。その頃の自慰用媒体はすでに映像作品にシフトし、石川のセクシー路線は僕の性的嗜好とシンクロせず、二、三回使っただけで古書店送りとなった。


 今思うと、石川のグラビアアイドルとしてのポテンシャルは小倉よりも高かったのではないか。にもかかわらず、石川の知名度が上がらなかったのは、一作目の写真集を発表してからの方向性が、僕のような彼女を自慰用素材とする消費者に伝わらず、以後のグラビアも一作目の焼き直しだったことが、長くつなぎ止められなかったからだと思う。何も露出度を高めることを求めておらず、高校生世代の健康的なエロチシズムをもっと前面に生かしきれていれば、小倉よりも大成していたかもしれないだけに残念だ。

AV入りした自慰用素材③~東琴乃編~

 二〇〇二年のとある休日、何の気なく立ち寄った古書店で、高校生世代の新人グラビアアイドルの写真集を手に取り、その美少女度の高さに吸い込まれて買わずにはいられなくなった。この年を代表するオナペットは磯山さやか福愛美矢吹春奈の名前が挙がるが、彼女たちの二番手グループとして、そしてAVへ転身したその一人として、東琴乃(現・琴乃)を紹介したい。


 パソコンを持っていなかった頃、僕が新人を知る方法は雑誌媒体にかぎられていた。あとは書店で新刊の写真集が売られているかどうかを確認するしかなく、すぐに東のデビュー作「ことだま」を知る機会に恵まれなかった。東は大手レコード会社が企画したアイドルグループの一人で、一期上には小向美奈子もいるほどメジャー級の扱いだったことを今になって知ったが、当時の僕はそんな経歴よりも、自慰用素材にかなうかどうかの基準だけで彼女の写真集を購入した。


 ヤフオク!に出品されている「ことだま」のサンプル画像を見ると、胸の大きめな少女の年相応の佇まいに、「お菓子系」のテイストが感じられ、当時の僕が自慰用素材に用いていたのも頷ける。健全な仕上がりの作品だったので、次作も候補に入れようとしたところ、同じ写真家によって発表された二作目「Help!」は、僕の期待をまんまと裏切ってくれた。「ことだま」の発表から約半年、まだ十七歳にもかかわらず着エロ路線へと舵を切ってしまったからだ。


 東琴乃名義での写真集は二作目までで、琴乃に改名ののちハードな着エロからAVへと進んでいった。「ことだま」の発表から「Help!」の企画、製作までの間に、東自身にどういう心境の変化があったのか。ちょっと生き急いでるんじゃないのか、と僕は「Help!」の表紙を見て訝しんだものだが、自慰用の素材となる高校生世代のグラビアアイドルは次々とデビューしてくるので、東を見限るのに時間はかからず、AV入りしたことを知っても、何の感慨もなかった。


 東のAVでの活動時期は〇七年から〇九年までの約三年間で、大手メーカーの「芸能人」シリーズで人気を博した。グラビアアイドルとしてメジャーデビューしたのだから芸能人にちがいないのだが、僕にとっての芸能人とは幅広い年代層に知られ、芸能スキルに長けている人物だと勝手に解釈しているので、東をそういう括りにするのはやや強引すぎるのではと思った。確かに人前で躊躇することなく水着姿で性的アピールを訴えるのは立派な芸能スキルだが……。


 これも後になって知ったことだが、東はプサン出身の韓国人だという。そうであるなら、僕の自慰人生において唯一の外国人となる。もっとも、僕がお世話になった自慰用素材の中には片方の親や祖父母が外国人というのもいるので、東を唯一と強調するのは語弊がある。性的興奮を高めさせてくれれば、国境や国籍は関係ない。

AV入りした自慰用素材②~石川恵理編~

 十五歳以下の中学生世代、いわゆるジュニアアイドルを初めて自慰用の素材に用いたのは誰かと問われると、真っ先に小向美奈子が思い浮かぶ。当時二十六歳の僕は、中学生を性的対象にすることだけは厳に戒めていたが、幼い顔立ちを残しながらも胸の立体感が露わな小向のビキニ姿に背徳感が抗えず、写真集を買っては自慰にいそしんだ。小向のデビューは、僕のつまらない拘りをいとも簡単にほどかせてしまった。


 基本的に僕の性的対象は十五歳から十八歳までの高校生世代だが、小向のような中学生離れした巨乳美少女の写真集を見つければ、それを買わないわけにはいかなくなる。小向に次いで現れたのが、当時十四歳だった石川恵理で、二作目の写真集「mocha」は現役中学生とは思えぬ発育ぶりに性的想像力を逞しく働かせた。


 石川は二〇〇一年にキー局が企画したアイドルユニットのメンバーとしてデビューし、、翌年には別のキー局の朝の子供向け番組のアシスタントに選ばれるなど、いきなりメジャー級の扱いを受けるほどの華々しい経歴を持つ。僕が買った石川の写真集の帯にも、そうした肩書きが書き並べられていたが、そんなことよりも十四歳とは思えぬ体躯の良さと、年相応の幼さを残す表情とのアンバランスがたまらなく、自慰用素材としては申し分なかった。


 石川は子供向け番組の出演を機に石川エリと改名し、ほかのメンバーとアイドルグループを結成。大手レコード会社に所属と順風満帆に芸能人生を歩んでいくと思いきや、解散から約三年後にセクシー女優に転身し、名義を変えながら約六年間活動した。FANZAで検索しても石川の作品が見つからないのは、どうやら彼女が人権団体を通じて自らの作品の販売停止申請をしたようで、SNS上でもギャランティーのピンハネを訴えていたらしい。


 過去の作品を「なかったもの」にするのは当事者の権利であって、何ら非難されるべきではない。しかし、元メジャーアイドルがAV入りすることの反響をまったく考慮に入れていなかったのなら、一時の気の迷いとはいえあまりにも軽率だったと思わざるを得ない。AVは日本が世界に発信できるクールジャパンの一つだが、甘言を弄して女優を性的搾取する手合いもいる魑魅魍魎な業界であることを、芸能界の酸いも甘いも嚙み分けてきた石川が知らなかったでは済まされない。


 アイドルとしての活動期間中に周囲からちやほやされるのに胡坐をかき、先を見据えた行動ができなかったから所属先に見放され、一般人としてひたむきに生きることなく、AVの道を選んだ。中学生で芸能界入りし、常識を養わないまま大人になってしまった頭の悪い女性の末路と言えばそれまでだが、AV出演で何とか芸能の世界とつながっていたい執念のようなものを感じなくもない。もっとも、石川のセクシー女優名義の作品はすでに市場に流通しなくなっているのだから、彼女の芸能活動は自ら決めたものではなく、大人たちが敷いたレールの上に乗っかっただけのものにすぎない。

AV入りした自慰用素材①~工藤珠琴編~

 オナペットとみなすほどの自慰回数を重ねるまでには至らなかったが、僕が自慰用素材として用いてきたグラビアアイドルの中でAVに転身したのが何人かいる。いずれも本人たちの作品を見たことがない。年端もいかぬ少女の水着姿で散々性欲を発散してきた僕にとって、旬を過ぎたかつての素材の裸身や男優との本番行為を見せられても、性的嗜好とシンクロしないからだ。素人っぽい高校生世代を思わせる作品にはいくらか興奮するが、ギャルのように垢抜けてしまっては興味が湧かない。


 すでに紹介した小向美奈子を除き、僕がお世話になった自慰用素材の中でAVに転身した一人目として、工藤珠琴を挙げたい。工藤は一九九〇年代後半の「お菓子系」アイドルの一人で、僕は神保町かどこかの古書店で彼女が巻頭を飾った「クリーム」のバックナンバーを定価の約四倍で買った覚えがある。そこらへんにいそうなぽっちゃりした佇まいだが、素人っぽさを残すロリータフェイスにたちまち魅了され、ワンピース水着やブルマーといった露出度が低い衣装でも十分性的興奮を高められた。


 工藤のAVデビューはクリームの誌面でも紹介されたほどだが、当時の僕はそのことを知らなかった。今のように種々雑多な情報が即座に手に入る時代ではなかったので、工藤が九八年に柏木綾として数作品を発表したのを知ったのは、もっと後になってからだった。本ブログを書くにあたり、FANZAで“柏木綾”と検索すると、デビュー作の「初恋」を含む単体での三作品が販売されている。古い作品なのでサンプル画像が拡大表示されないのが残念だが、幼さが残る表情と露わになった乳房に軽い性的興奮を覚えてしまう。


 元お菓子系ゆえにブルセラ路線の作品が続き、五作目の「監禁エンジェル」と六作目の「パンスト天使」でロリータ系からの脱却を図ろうとしたものの、六作目をもって引退。AVでの活動は約半年間だった。それだけの短期間にもかかわらず、工藤の作品が二十年以上経った今でも商品として流通しているのは、廃版となったり、販売を取りやめたりした3号ポルノとは対照的だ。若気の至りとはいえ、夫でも恋人でもない男性と絡み合った自らのポルノグラフィが細々と売られ続けているとは、当の本人はどう思っているのだろうか。


 お菓子系で巻頭を飾るほどの人気を博しても、AVで大成しなかったのは、工藤がブルセラの枠から抜け出せなかったからだと思う。ロリータフェイスと十人並みの体躯では、僕のような特殊な性癖を持つ者にしか支持されず、それこそグラビア以上にデビューの間口が広いAVでは、さらにニーズが細分化されてしまう。AVで名前が売れ、トップを張れるのは、グラビアよりも難しいはずだ。


 やはり、僕にとっては高校生世代だった頃の工藤のグラビアのほうが、柏木のサンプル画像よりも性的興奮の度合いが高まってしまい、ネット上の拾い画像を二度見してしまうほどだ。もう六、七年遅く生まれていたら、福愛美のように新興の芸能プロダクションにスカウトされ、写真集を出すこともできたのではないか。お菓子系の“進学先”が即AVだった当時が悔やまれる。