僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

約十五年ぶりの“再会”

 ビデオ・オン・デマンド(VOD)のサービスプロバイダーは、電子書籍も取り扱っていて、そこには二〇〇〇年代に活動したグラビアアイドルの写真集が安価で提供され、僕が二十代後半から三十代前半にかけて散々お世話になった彩文館出版の作品も含まれている。僕はキー局が運営するVODの有料会員で、毎月千円足らずの会費で千三百円相当のポイントが還元される。これを利用して、僕は約十五年ぶりに滝ありさの一作目「ありんこ」と再会した。
 グラビアアイドルの写真集でもっぱら自慰にいそしんでいた当時は、自室に五冊程度を敷布団の下に忍ばせ、そのときの気分によって素材を選んだ。どういうわけか、六冊以上所持しているとうしろめたさを覚え、飽きてしまったり、久しく使っていない作品は古書店に買い取ってもらった。一度放出した作品をまた使いたくなることもしばしばあり、買い戻して再び楽しんだ。
 だから、「ありんこ」も他作品との兼ね合いに加え、DVDへのシフトによって使う回数が減っていき、いつの間にか古書店へ放出してしまった。僕は滝のファンではなく、彼女をひたすら性欲処理の対象としてでしか見ていなかった。滝にかぎらず、お世話になった幾多のグラビアアイドルにも言えることで、それゆえにソフマップなどで開かれるイベントに馳せ参じようとは全然思わなかった。
 さて、久しぶりの「ありんこ」だが、いつも読破するまで四、五回は射精していた〇五年六月頃からの記憶が懐かしくよみがえってきた。表紙をめくり、まずはトラックに佇む水色基調のビキニか、水色一色のビキニで一回目の射精に至り、次はオレンジのビキニで二回目に挑む。ここは布面積が小さめで、胸の立体感が露わなのでとりわけ興奮した。それから赤かピンクのビキニで三回目に挑戦。四つん這いで尻を突き出しているピンクのビキニ姿に再び激しく興奮し、白のワンピースか黒のビキニで四回目、体調が良ければ白かワイン色のビキニで五回目のフィニッシュとなった。
 僕にとっては非常に実用性に富んだ作品で、中盤の制服姿やキャミソール姿でも性的想像力を働かせながら各種ビキニ姿で気持ちよく射精できた。どのページからでも僕の股間はみるみるうちに熱くなり、手っ取り早く自慰を済ませたいのなら「ありんこ」の一択だった。さすが単独の作品として最多自慰回数を記録しただけあって、やはりもっと早く滝がデビューしていたら、と今になっても悔やまれる。
 自慰用媒体がイメージビデオ(IV)に移行して十年以上経ち、また僕自身加齢による性欲の衰えもあってか、三十代前半のように「ありんこ」で狂ったように自慰に励むどころか、再会してからまだ一度も使っていない。しかし、簡単に手放してしまった写真集と異なり、電子書籍はサービスプロバイダーの運営が行き詰らないかぎりはずっと保存されるので、機会があればぜひあの時のように性欲を発散させたい。

滝ありさ、永遠なれ

 二〇〇五年秋にDVDの小型再生プレイヤーを買って以来、僕の自慰用媒体は写真集とイメージビデオ(IV)の併用となった。翌年はIVの購入点数が写真集のそれを上回ったはずだが、この年の最多自慰回数を記録したのは前年に購入した滝ありさの写真集「ありんこ」で、彼女を引きずり降ろすオナペットはなかなか現れてくれなかった。
 むろん、滝の映像作品も何作か買って試した覚えはあるが、新作を発表するたびに垢抜けてグラビア慣れしていくのは滝も同様で、やはりデビュー作の「ありんこ」と並行して作られた「星に願うなら。」が最も記憶に残っている。DVDソフトのパッケージに収まる写真集入りという特典付きだったが、「ありんこ」で百回以上も自慰に耽った僕にとって、それはもはや無用だった。
 「ありんこ」との同時制作ゆえ、水着などの衣装はまったく同じだが、ビキニよりも白のワンピースで強調される胸の膨らみにめちゃくちゃ興奮し、射精時には重宝させてもらった。前にも触れたが、当時は滝と石井めぐるで最多自慰回数のマッチレースを繰り広げていて、石井が写真集を三作品発表していたのに対して、滝は「ありんこ」のみ。もし滝が石井と同様、十七歳でデビューし、複数の写真集を発表していたら、最多自慰回数争いは違った局面になっていただろう。
 僕はオナペットとしての滝にしか興味がなく、グラビア以外の芸能活動を知ろうともしなかった。滝が「復活!ミニスカポリス」の一員として名を連ねた頃には、僕は彼女より若いグラビアアイドルを自慰対象にしていた。インターネットの通販サイトでそれらを物色していくうちに、滝が着エロ作品を発表したのを知ったが、そのパッケージ写真に僕の股間は何の反応もなかった。地上波のバラエティーやドラマでも単発で出演する程度で、メジャーになることなく芸能界から去っていった。
 本稿を書くに際して、滝の引退発表時のブログに目を通したが、「ありんこ」撮影時は十七歳だったという。その頃について「毎日が緊張でがむしゃらでなんにも分からなくて一生懸命で」と綴られている。滝にかぎらず、デビュー作の撮影に臨むグラビアアイドルはそんな心境だからこそ、表情がぎこちなくて素人っぽさの残る作品に仕上がる。僕はいつもそればかりを選んで、自らの性欲を発散させた。そして二作目以降、急に垢抜けて臆することなく煽情的なポーズを見せる彼女たちのプロ意識を尊重しつつも、一作目ほどの性的興奮が得られず、再びそこらへんにいそうな高校生世代の良作の物色にいそしんだ。
 僕のオナペットの多くは、芸能界での椅子取りゲームに負けて引退の道を選んだ。滝のその後の消息はわからないが、書道に琴、三味線と日本文化に精通していることから、躾の厳しそうな家の出身だと窺える。多感な時期に、芸能界に籍を置いていたのが果たして滝の人生にとって有益だったかどうかはわからない。しかし、お世話になった身として、滝が今日においても次世代を担う伝統文化の継承者として、日々研鑽に励んでいることを信じてやまない。

転職と「朝オナッ!」

 二〇〇五年六月。
 二度目の転職を機に、僕は県庁所在地である某地方都市へ引っ越すことになった。親会社の社宅を安く提供してくれたので、勤務先まで自転車で十分もかからないほど職住近接が可能になった。朝晩の満員電車に揺られる必要がなくなった反面、会社内の自由度や創造性は低く、入社二、三年目の仕事内容に甘んじている社員が多数を占めていたので、僕は試用期間の段階で逃げ出したくなった。
 よそ者はよそ者らしく、会社内ではおとなしく淡々と仕事をこなし、ほかの社員とは距離を置いていたが、仕事での消化不良感は日増しに高まっていき、その憂さ晴らしとして出勤前に自慰をするようになった。起床して身支度を整え、電子レンジで温めた無菌米飯に納豆をかけて食べた後、朝一の自慰に勤しむ。〇八年四月までこの会社に籍を置いていたが、早出直行の日以外はほぼ毎日出勤前に射精していた。
 自慰の最中、隣の部屋ではテレビがついたままで、僕はいつもTBS系列の情報番組を耳にしながら性的興奮を昂らせていた。出勤前の自慰は、その番組の名前をもじって「朝オナッ!」と称した。午前八時四十分前には社宅を出るので、「はなまるマーケット」が始まっても射精に至らないと焦りを感じた。「朝オナッ!」は土、日曜も行い、やはりTBS系列の「知っとこ!」と「サンデーモーニング」を耳にしながらだった。
 休日の自慰は一日三、四回の固め打ちで、日曜日の場合、朝一の後、近所のスーパーで買い物を済ませ、「サンデージャポン」を冷ややかに見終わってから、二回目の自慰という流れになる。テレビのチャンネルはTBS系列のままで、長峰由紀が原稿を読むニュースの時間帯と重なっていた。スポットCMが延々と続いた後、画面が報道スタジオに切り替わり、化粧の濃い長峰仏頂面で「ニュースです」と一声発し、原稿を読み始める。CMからスタジオに画面が切り替われば、視聴者は「ああ、ニュースの時間だな」と察するはずなのに、長峰は「こんにちは」でなく「ニュースです」と何の愛想を見せず、そこで読み上げられるのも全国の事件事故ネタばかりで、彼女の語り口がそれらの悲惨さを際立たせた。
 日曜日の夕方は、「笑点」を見終わってから「サザエさん」が始まるまでの約三十分間を自慰の時間に割いた。すでに二、三回の射精を果たしているので精液の量も少なく、「ちびまる子ちゃん」のエンディングテーマが流れている頃にそれを処理するのが普段の流れで、僕自身の体調や自慰用の素材が今一つだったときは「サザエさん」のオープニングにずれ込むこともあった。
 僕の年間自慰回数は〇四年をピークに右肩下がりとなる。週末の一日五回と平日の一日二回が減ったのが原因だが、「朝オナッ!」と週末の固め打ちは途切れることなく、〇八年前半まで続いた。十八歳以下のグラビアアイドルが続々とデビューしていく流れに抗えず、僕は週末のたびにセルビデオ店へ足を運び、新作を物色する作業を続けた。

写真集からDVDへの移行期

 マイナーなグラビアアイドルの記録媒体が写真集からDVDにシフトしていくのを実感した僕は、それを再生する機器の必要に迫られた。当時、折り畳みベッドの上でオナホールと枕を使って正常位のように自慰に勤しんでいたので、その体勢を維持するには小型のプレーヤーが最適だと判断し、二〇〇五年の秋に家電量販店で東芝の「ポータロウ」を手に入れた。その日の夜にさっそく古書店で買った石井めぐるの「シスター」で試し、性的興奮を喚起しづらい駄作ぶりにがっかりしながらも、何とか射精にこぎつけたのを覚えている。
 その頃のイメージDVD(IV)の尺は四十五分から六十分前後で、新作、中古にかかわらず、一回目の再生は全編等倍で見ることにした。見終わるまでに何回射精できたかが良作か駄作かを見分けるポイントで、最初のチャプターで果ててしまったのもあれば、全編通じて一回しか射精できないのもあった。ひととおり見終わった後は、二分の一倍速機能でじっくり堪能し、気に入ったチャプターを何度も繰り返し用いることになる一方、低速でも性的興奮が高まらない作品は、すぐに古書店送りとなった。
 この頃からデビュー作は写真集ではなくDVDという素材が増えてきたので、僕は週末のたびにセルビデオ店に立ち寄ったり、インターネットの通販サイトで新作をくまなくチェックした。〇五年の終わりから〇六年の初めは、滝ありさの写真集「ありんこ」がまだ勢いを保っていたが、彼女といい石井といい巨乳美少女にはやや食傷気味で、たまには僕の自慰遍歴のルーツである「お菓子系」で性欲を発散したい衝動に駆られていた。そんな中で一作目のIV「Anjel Kiss」を発表したのが、古賀さゆりだ。
 古賀はそこらへんにいそうなた佇まいで、スタイルも抜群とは言えないが、それが僕にとってはたまらなく、しかもスクール水着のチャプターもあって、幾度となく性的興奮を喚起させてもらった。ほかの素材との兼ね合いで古書店に買い取ってもらったが、再び古賀でリピートしたい欲求が高まり、中古品を手に入れるほど僕は彼女での自慰を欲していた。それは「お菓子系」を初めて素材に用いた十年以上前から、性的嗜好がまったく変わっていないことの表れだった。
 写真集同様、何度も繰り返し使える良作と邂逅するまでには、幾多の駄作と付き合うことになる。DVDは写真集に比べて千円高く、しかもインタビューやメイキングで映されるモデルの素の部分や芝居仕立てのチャプターは本当にどうでもよく、昂っていた性欲を台無しにしてしまう。それなら素材が言葉を発しない写真集のお世話になったほうがましで、〇六年上期に買った作品は古賀以外はあまり印象に残っておらず、この年の年間最多オナペットは滝で、石井の三年連続を阻んだ。
 しかし、セルビデオ店に足を運ぶたびにDVDの棚が増えていき、写真集が隅に追いやられていくのを目にすると、僕も滝の「ありんこ」を手放せる良質な素材が出てくるのを期待し、DVDを買っては処分を繰り返すことになる。

最高傑作二作品の揃い踏み

 僕の理想のオナペットは高校生世代の十五歳から十八歳までで、美少女と巨乳を併せ持った素材であるほど、瞬く間に自慰回数が増えていった。それらの価値基準は人によって異なるが、二〇〇四年に夢中になった石井めぐるは僕にとってまさに完成形で、一作目の写真集「Be―New―」は僕が今まで手にしてきた写真集の中で一、二を争う最高傑作なのは間違いない。
 一、二を争うと曖昧な言い回しに終始しているのは、翌年にまた僕にとって完成系となる素材が現れたからだ。もしそれが石井よりも早くデビューしていたら、〇四年の年間自慰回数はさらに増えていたかもしれないほど、彼女とは甲乙つけがたい存在だ。〇五年五月に一作目の写真集「ありんこ」を発表した滝ありさ。僕にとっては終生忘れることのできないオナペットの一人だ。
 「ありんこ」発表当時、滝はすでに十八歳で、デビューが遅かったのが悔やまれる。十六歳ぐらいから写真集をコンスタントに発表していたら、石井を差し置いて平成期一位のオナペットに名を残せただろうと思わせるほどの逸材だった。現役高校生世代でない滝に対して、僕は当初そんなに回数を稼げないだろうと期待薄だったが、写真集を開いてグラビアを眺めるや否や、彼女の幼げな表情とビキニ越しに見える胸の立体感にたちまち興奮してしまい、七、八ページ眺めただけで果ててしまった。一冊眺め終わるまでに五回も射精してしまうほど、石井に代わるヘビーローテーションとなった。
 この年は、川村ゆきえと双璧で十年選手を務めてきた原幹恵も一作目の写真集を発表し、僕もそのお世話になった。世間の知名度と評価、芸能界の実績は比べものにならないほど原が滝を上回っているが、僕は原の写真集を十回程度用いただけで古書店に買い取ってもらった一方、「ありんこ」での自慰回数は、おそらく一作品の写真集では自己最多の自慰回数だと思うので、僕個人の中では原は滝の足元にも及ばない。
 僕の記憶では、〇六年頃まで石井と滝の双方で自慰回数のトップ争いを繰り広げた。ともに百八十回近くを記録し、後続を大きく引き離しているが、今日においてもどちらが平成期の頂点か決めかねている。「Be―New―」で一日最多の自慰回数(六回)を記録しているし、「ありんこ」での自慰回数は「Be―New―」のそれを上回っている。先に滝が石井より早くデビューしていたらと言及したが、あくまでも仮定の話にすぎず、それをもとに滝を過大評価するわけにもいかない。
 ともあれ、「ありんこ」と「Be―New―」が、僕がこれまで購入してきた写真集の中で最高傑作であるのは揺るぎない事実であって、それらを上梓した彩文館出版には非常に感謝している。性欲発散のピーク期だった三十歳前後に、三千円足らずで一年以上にわたって繰り返し射精を導いてくれたのだから、コストパフォーマンスに優れた良書として、また人生を変えた一冊としてこの二作品をぜひ記憶に留めておきたい。

2005年のポスト小倉優子

 人前で水着姿になるグラビアアイドルは、セックスアピールとして水着越しの胸の膨らみや腰のくびれが重要な要素であるのは言うまでもない。高校生世代を性的対象としていた僕は、成熟途上のそれらにロリータフェイスが加味されると、その素材での自慰回数がたちまち増えていく。二〇〇四年の石井めぐるはその象徴で、週末のたびに一日四、五回の固め打ちをしていたのを今でも懐かしく思う。
 ポスト石井として疋田紗也が浮上し、〇五年の前半は彼女をよく使わせてもらったが、もう一人、中村知世を挙げたい。一作目の写真集「知世初見世」を発売した当時、すでに高校を卒業していて、僕はそれを用いるのにいささかの逡巡があったものの、かつての小倉優子を彷彿させるロリータフェイスに、年齢のこだわりなどどうでもよくなった。つい数か月前までは現役世代だったのだからと割り切った。
 中村は決して胸が大きいとは言えず、写真集の構成も中途半端な肌の露出が目立ったが、それでも本稿であえて紹介するのは、僕が〇一年から〇二年二かけて僕の股間を絶えず熱くさせてくれた小倉の再来を実感したからだ。石井や川村ゆきえのような胸の大きいモデルへの性的興味が増していく一方で、小倉のような肢体は二の次というモデルへの性的興味もまだ薄れていないことを、中村が証明してくれた。
 中村が小倉を尊敬しているというのも、両者を素材として用いたことがある僕にとっては合点がいくわけで、惜しむらくはもっと早くデビューしていたら、僕の自慰回数も増えていったにちがいない。中村は一八年に結婚するまでコンスタントに映像作品を発表してきたが、僕が彼女の作品を買ったのは「初見世」と中古で買ったDVD「知世白書」だけだ。「知世白書」では、水着が透けているかどうかを心配して恥ずかしがる表情に妙に興奮したのを今でもはっきり覚えているが、新作が発表されるたびに垢抜けていく中村に、僕の性的興味は薄れていった。
 そもそも中村は女優として芸能界入りし、スーパー戦隊シリーズに出演して知名度を上げるなど、決してグラビア偏重ではない。女優業だけ続けていれば、僕のようなオナニストの性的対象にならずに済んだのに、結婚するまでグラビアの仕事を続けていた。本人がそれを望んでいたかどうかは知るよしもないが、年を重ねるごとに露出過度になっていったのは、かつてお世話になった者として痛々しさを覚える。小倉を尊敬していたとはいうものの、彼女のすべてを真似できなかったから、芸能活動晩年は着エロを志向せざるを得なかった。誰もが小倉のような要領がいいだけの“脱グラビア”芸能人になれるわけでもない。
 しかし、同じ十年選手だった川村や原幹恵が抜群のプロポーションを保っていたのに対し、やや見劣りする中村もグラビア市場をリードし続けていたのは十分評価されてもいい。女優としての仕事は中途半端だったが、それでも芸能界でしっかり名を残せたのだから、僕の中では小倉よりもプロ意識に徹したをグラビアアイドルだと思っている。

人生初のイメージDVD

 僕の年間自慰回数が三十歳を迎えた二〇〇四年を境に減少を辿っていく一方で、グラビアアイドルの低年齢化はますます進んでいった。今日では、製販ともに十八歳以下の写真集やDVDの発売に及び腰になり、新作がまったく発表されないなど市場は壊滅状態になっているのだから、もはや隔世の感がある。率先して高校生世代の水着姿を中吊りや新聞の広告に掲載していた大手出版社が、権力側に抵抗せず、また表現の自由を突き詰めようともせずにそれらを「なかったもの」にしてしまったのは、ひたすら残念でならない。
 〇五年のトピックスとして、初めて映像作品を購入したことが挙げられる。そのグラビアアイドルの写真集が発売されなかったのがもっぱらの理由で、不覚にもその素材の名前を覚えていない。音楽の勉強のために福島から上京し、その手の高校に通っているというエピソードだけが妙に印象的で、その後「ピュア・スマイル」レーベルで幾度となくお世話になる竹書房の作品だったような気がしたが、同社のホームページの目録には掲載されていない。
 初めてのDVDは、全編のほとんどがいわゆる“捨てチャプター”で、実用性を欠いた代物だった。インタビューで尺を取るのはともかく、全編が芝居仕立てでカメラ目線で動いていないのだから、観賞する側は被写体との一体感が感じ得ない。しかも、写真集より約千円高く、僕にとっては静止画像での自慰にずっかり慣れきっていたこともあってか、DVDへのシフトは不要不急ではないと感じた。
 モデルの名前すら覚えていないDVD初体験だったが、写真集を出さずにDVDからデビューするグラビアイドルが、この当時から増えてきたように思える。実際に僕が自慰専用のポータブルDVDプレーヤーを買わざるを得なかったのは〇五年の秋頃だし、翌年には写真集との併用を経てDVDへの完全移行となる。セルビデオ店に並ぶAV作品も、すでにビデオテープは淘汰されていた。
 技術革新に抗うことなく、僕はDVDでの自慰に移行するのだが、動画に慣れきってしまうと画像で自慰するのは「もったいなさ」を感じてしまうのが、僕のみみっちい性分だ。かといって、ムックの付録によくあるメイキングDVDは、撮影の様子をダラダラと撮っただけで、ないほうがましだと感じさせるものばかりだ。結局、ぞのモデルの画像による自慰も長続きせず、動画作品を探し求めることを繰り返す。
 この項を書き終える段になっても、初めて購入したDVD作品のモデルの名前が思い出せないのは、とてもくやしいし、彼女に対して非常に失礼だと思う。この場を借りて本人に謝罪したい。僕はお世話になったグラビアアイドルの現在地にはまるで興味はないが、彼女に対してはどんな形であれ、当時のインタビューで語っていたように、今でも音楽の道を歩んでいると信じてやまない。