僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

滝ありさ、永遠なれ

 二〇〇五年秋にDVDの小型再生プレイヤーを買って以来、僕の自慰用媒体は写真集とイメージビデオ(IV)の併用となった。翌年はIVの購入点数が写真集のそれを上回ったはずだが、この年の最多自慰回数を記録したのは前年に購入した滝ありさの写真集「ありんこ」で、彼女を引きずり降ろすオナペットはなかなか現れてくれなかった。
 むろん、滝の映像作品も何作か買って試した覚えはあるが、新作を発表するたびに垢抜けてグラビア慣れしていくのは滝も同様で、やはりデビュー作の「ありんこ」と並行して作られた「星に願うなら。」が最も記憶に残っている。DVDソフトのパッケージに収まる写真集入りという特典付きだったが、「ありんこ」で百回以上も自慰に耽った僕にとって、それはもはや無用だった。
 「ありんこ」との同時制作ゆえ、水着などの衣装はまったく同じだが、ビキニよりも白のワンピースで強調される胸の膨らみにめちゃくちゃ興奮し、射精時には重宝させてもらった。前にも触れたが、当時は滝と石井めぐるで最多自慰回数のマッチレースを繰り広げていて、石井が写真集を三作品発表していたのに対して、滝は「ありんこ」のみ。もし滝が石井と同様、十七歳でデビューし、複数の写真集を発表していたら、最多自慰回数争いは違った局面になっていただろう。
 僕はオナペットとしての滝にしか興味がなく、グラビア以外の芸能活動を知ろうともしなかった。滝が「復活!ミニスカポリス」の一員として名を連ねた頃には、僕は彼女より若いグラビアアイドルを自慰対象にしていた。インターネットの通販サイトでそれらを物色していくうちに、滝が着エロ作品を発表したのを知ったが、そのパッケージ写真に僕の股間は何の反応もなかった。地上波のバラエティーやドラマでも単発で出演する程度で、メジャーになることなく芸能界から去っていった。
 本稿を書くに際して、滝の引退発表時のブログに目を通したが、「ありんこ」撮影時は十七歳だったという。その頃について「毎日が緊張でがむしゃらでなんにも分からなくて一生懸命で」と綴られている。滝にかぎらず、デビュー作の撮影に臨むグラビアアイドルはそんな心境だからこそ、表情がぎこちなくて素人っぽさの残る作品に仕上がる。僕はいつもそればかりを選んで、自らの性欲を発散させた。そして二作目以降、急に垢抜けて臆することなく煽情的なポーズを見せる彼女たちのプロ意識を尊重しつつも、一作目ほどの性的興奮が得られず、再びそこらへんにいそうな高校生世代の良作の物色にいそしんだ。
 僕のオナペットの多くは、芸能界での椅子取りゲームに負けて引退の道を選んだ。滝のその後の消息はわからないが、書道に琴、三味線と日本文化に精通していることから、躾の厳しそうな家の出身だと窺える。多感な時期に、芸能界に籍を置いていたのが果たして滝の人生にとって有益だったかどうかはわからない。しかし、お世話になった身として、滝が今日においても次世代を担う伝統文化の継承者として、日々研鑽に励んでいることを信じてやまない。