僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

英知出版への十五年越しの謝辞②

 前回の記事で、「すッぴん」がアイドル雑誌としてのクオリティを保てず成人誌になり果ててしまったのは、「クリーム」に代表される「お菓子系」雑誌や大手出版社のアイドル雑誌との競合によるものだとの月並みな持論を展開した。のちに女優やタレントとしてブレイクした少女を巻頭に起用するほど先見の明があったにもかかわらず、どうして坂道を転げ落ちるようにコンテンツが劣化してしまったのか。一九九九年の児童ポルノ法施行だけが原因ではないと思う。


 「すッぴん」は「BOMB」や「Up to boy」のようなすでにメジャーデビューしているアイドルではなく、どこの誰ともわからぬ無名の少女の水着姿を披露した。彼女たちを巻頭で起用しながら、表紙に年齢をはっきり記して高校生世代を自慰対象とする消費者に訴求。また、AV女優のヌードグラビアも掲載することでAVとのメディアミックスを図ったのが、ほかのアイドル誌との決定的な違いで、後々まで成人誌と色眼鏡で見られがちだった。


 「すッぴん」は、高校生だった僕でも書店で買えたので成人誌ではない。しかし、正統派のアイドル雑誌でもなく、その曖昧なポジションがほかの雑誌に埋もれることなく、僕のような性癖の読者に支持された。正統派を目指しても大手にかなうわけがなく、成人誌は「デラべっぴん」など自社のフォーマットが確立していたので、その一部を拝借しながら無名の少女を巻頭に抜擢し、発行部数を増やしていった。


 九〇年代後半に「クリーム」を代表とするお菓子系雑誌が「すッぴん」の読者層を奪っていった際に、共倒れを覚悟でそれらと同じ土俵に立てていたら、もっと違った局面になっていたかもしれない。「すッぴん」はメジャーアイドルやヌード(むろん十八歳以上)のグラビアも掲載されていて、総合的なアイドル雑誌としての色合いが濃かった。しかし、巻頭を飾る高校生世代のグラビアが、年を追うにつれてお菓子系雑誌よりも美少女度や演出の劣化が進んでいたのは否めず、それでいて「クリーム」よりも約百円高いとあっては、読者がお菓子系に流れるのも時間の問題だった。


 児ポ法施行前の一、二年はお菓子系雑誌に掲載されたことがあるモデルを起用し、共存路線を試みたが、その一方で優香や酒井若菜ら自社が発行する写真集の販促の一環として、彼女たちのグラビアを誌面で展開した。それはそれで英知出版の業績に寄与したはずだが、当時の僕は三千円近くもする写真集を買うほどの経済的余裕がなかったので、酒井のデビュー作「神様の繭」は欲しくても買えなかった。その欲求不満を解消すべく、千円でお釣りが返ってくるお菓子系雑誌の別冊ムックで性欲を発散するしかなかった。


 のちにメジャーになり、“お宝画像”としてバックナンバーが高値で流通するほど新人の発掘に長けていても、「すッぴん」の巻頭モデルを自社で写真集が出せるまで面倒を見るシステムは九〇年代前半まではなかった。優香や酒井でそのノウハウを確立できたのなら、彩文館出版のような現在地にいたかもしれないのに、倒産によって途絶えてしまった。英知出版の内部事情を抜きにして僕なりの考察をまとめてみたが、やはりお菓子系の黎明期のうちに対抗策を講じなかったことと、ピーク時でも市場自体が共存できると目測を誤っていたことが、“初恋体験雑誌”の寿命を縮めたではないだろうか。