僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

英知出版への十五年越しの謝辞①

 僕が英知出版という社名を知ったのは、中学二年の冬に「デラべっぴん」を買ったときだ。書店員に訝しがられながらも、生まれて初めてポルノグラフィを手に入れ、自慰用素材とした。確か牧本千幸が巻頭だったと思う。当時は「英知」という言葉の意味などわからず、エッチな雑誌を発行しているからそういう社名なんだな、という稚拙な発想で十代後半から二十代後半にかけて、同社とその系列会社が手がける出版・映像媒体のお世話になった。


 英知出版は二〇〇七年四月に倒産。九六年に所得隠しが発覚して以来、三度にわたって親会社が変わるほど経営が不安定になり、末期になると全盛期を支えていた「ビデオボーイ」などの主要雑誌をも手放してしまった。倒産から約十五年経った今、幾多の自慰用素材を供給してくれた同社に感謝の意を伝えたいとともに、あらためて一消費者として倒産に至るまでの経緯を振り返っていきたい。


 僕は高校生の頃から「すッぴん」を愛読し、自慰用素材に用いてきた。素人っぽさを残す高校生世代の少女の水着姿を堪能できる雑誌として、またメジャーになりきれないアイドルの寄せ集めとして、僕のような性癖を持つ読者の支持を集めた。表紙には登場モデルの氏名と年齢が明記され、それらのほとんどが十八歳以下だったことは、今日まで続く僕の自慰用素材の対象年齢として刻み込まれた。


 しかし、九〇年代に隆盛を極めた「お菓子系」との競合に巻き込まれたことが、「すッぴん」の相対的地位を下落させた。僕のようにお菓子系に流れた読者もいるはずで、正統派のグラビアとブルセラ路線がごちゃまぜのどっちつかず感が、「クリーム」の台頭を許してしまった。麻生久美子さとう珠緒ら女優やタレントを目指すモデルのスタートラインという役割を果たしてきたが、先鋭化する読者のニーズに応えようとはしなかった。


 児童ポルノ法の施行を経て「すッぴん」は翌〇〇年に誌名を変えたが、高校生世代のモデルで占められた往時の面影は微塵もなく、成人誌と変わらぬコンテンツになり果ててしまった。メジャーへの橋渡しというとニッチな存在意義も、芸能プロダクションがまだ無名の少女をグラビアアイドルとしてデビューさせ、彩文館出版などが写真集を手がけるようになると、「すッぴん」で水着姿を披露する必然性は薄れた。高校生世代の少女の水着姿を堪能できる媒体の第一人者だったのに、お菓子系の台頭とその後のグラビアアイドルの間口拡大で一気に後塵を拝してしまった。


 英知出版倒産の原因を、九〇年代における「すッぴん」の栄枯盛衰に絞って考察してみたが、裏表紙に大手メーカーの広告が付いていたほど成人誌としてのステイタスが高かった同社にとって、ゼロから立ち上げたお菓子系の突き上げによって消耗戦を引き起こし、読者の分散を招いてしまった。かといって、「BOMB」などのように児ポ法施行後もアイドル雑誌としてのクオリティを保つことができなかったのは、「すッぴん」も所詮、成人誌なのだという世間の冷ややかな見方に屈してしまったのと、大手と中小という出版社間の縮められようがない経営体力によるものではないだろうか。