僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

忘れていたオナペット~松山まみ編~

 僕がこれまでお世話になってきたオナペットは、ほとんどが十八歳以下のメジャーになりきれていないグラビアアイドルに限られ、美少女度の高さと体躯のよさを兼ね備えているのに対しては、自慰回数がぐんぐんと増えていった。一方で、小倉優子のように体躯が年相応の十人並みでも、それを補って余りある美少女の顔立ちに魅了され、写真集を買わずにいられなくなったのも少なくない。


 以前、本ブログでポスト小倉優子として中村知世を挙げたが、彼女の前にすでに小倉の系譜を受け継ぐ松山まみがいたことが、今になって気づいた。青森出身の松山は中学生のときに小倉と同じプロダクションに所属。二〇〇三年十一月に写真集「まみラシク歩イテク。」でデビューした。年相応の第二次性徴が進行中の体つきでスクール水着を着こなす表紙に、僕は女子中学生で性欲を発散してみたくなった。


 撮影当時は中学三年なので、ジュニアアイドルという括りになるが、その頃は過度な露出もなく、せいぜいビキニ姿を披露してくれるだけだった。それも下腹部はすっかり覆われていたが、性的想像力を高めるのに何ら支障はなかった。今では時代遅れの感が否めないが、当時はスクール水着や体操服といったブルセラ要素さえあれば、僕の下半身はたちまち屹立した。


 松山は〇五年三月に二作目の写真集「告白~伝えたい思い~」を発表。一作目でそれなりの自慰回数を稼いだので、僕は躊躇なく二作目を購入した。しかし、その頃は石井めぐる島本里沙など見事な体躯の美少女が次々とデビューし、僕もそれらをとっかえひっかえ素材に用いていたので、単なる美少女では物足りなさを感じた。結局、一作目ほどの自慰回数を重ねることなく、古書店送りになったと思う。


 僕の人生において年間の最多自慰回数を記録した〇四年は、石井を筆頭に島本や川村ゆきえなど器量もスタイルも抜群の高校生世代が相次いでデビューしたから、器量だけの素材は写真集こそ手に入れたものの、オナペットとみなすほど重宝しなかった。瀬戸早妃(現・咲嬉)や高橋幸子ら何人かの名前が挙がるが、いずれも巨乳美少女の箸休めにすぎず、松山もその一人だった。


 松山は高校生世代の三年間をほぼグラビアの仕事に費やし、女優への道を進んだが、いくつかの端役をもらった程度で芸能活動が途絶えてしまった。グラビアアイドル上がりの誰もが綾瀬はるかのようになれるわけでもないが、彼女の場合は本人の努力と老舗プロダクション所属なのでスタートラインが異なる。松山の所属先でブレイクしたのは小倉や眞鍋かをりに代表される“意識高い系”のタレントで、彼女たちのようなコミュニケーション能力がなければレースクイーンに回された。新興ゆえに女優を育てるノウハウがなかったのが、松山にとって不運だったのかもしれず、あらためてグラビア後の芸能人生設計の難しさが窺える。

忘れていたオナペット~石川佳奈編~

 自慰用素材を探す手段をもっぱら雑誌媒体に頼っていた頃、僕はいつも駅の売店やコンビニでヤングサンデーの表紙をチェックしていた。競合誌がメジャー級のグラビアアイドルを起用するのに対して、ヤンサンは素人っぽさを残した新人がいきなり巻頭を飾ることがあり、二〇〇一年の山吹美奈斗(鍵山由佳)がその例だ。巻頭や巻末のグラビアだけが目当てで、定期購読でもなかったので、掲載作品はほとんど読まなかった。


 この年は山吹のほかに、石川佳奈がヤンサンでグラビアデビューを果たした。ヤフオク!に出品されている当該号の表紙を見て、僕はこれを買ったことをすぐに思い出した。石川は十五歳とまだ中学生だったが、ビキニブラ越しに見える両胸の立体感に劣情が掻き立てられ、抑えきれぬ性欲を発散せずにはいられなくなった。巻頭と巻末の十二ページ立てで、水着の布面積が大きくても性的想像力を働かせるのに何ら問題はなかった。


 当時のグラビアアイドルは、雑誌での数ページの掲載から写真集を発表するのがお決まりのパターンだったが、石川も〇一年五月にデビュー作「kana」を発表。帯には「ピッカピカの16歳!」とあるが、石川は四月生まれなので撮影時は十五歳の中学生だったはずだ。今でいうジュニアアイドルだが、布面積の小さい水着を着せられたり、性行為を想起させる仕草を見せたりするわけでもなく、極めて健全な仕上がりの作品だった。


 石川はその後も雑誌グラビアの仕事をもらい、ヤンサンの巻頭にも再び登場。僕も大変お世話になったが、石川のような高校生世代のグラビアアイドルが次々とデビューしてきて、写真集も発表するようになった。僕はそれを買い求め、使用頻度が少なくなったのは古書店行きとなった。「kana」もその一つで、気がついたら手元になくなっていた。小倉優子とデビュー時期が重なるが、彼女に比べて自慰回数が伸び悩んだのは、表情や衣装がどこか単調だったからだと思う。


 石川は映画やドラマの端役をもらって芸能界に籍を置いていたが、〇七年一月に約六年ぶりとなる二作目の写真集「jewel」を発表。すっかり大人の女性の雰囲気を醸し出している表紙に、僕は戸惑いを覚えながらも、かつてのオナペットだった義理を果たすためにそれを購入した。その頃の自慰用媒体はすでに映像作品にシフトし、石川のセクシー路線は僕の性的嗜好とシンクロせず、二、三回使っただけで古書店送りとなった。


 今思うと、石川のグラビアアイドルとしてのポテンシャルは小倉よりも高かったのではないか。にもかかわらず、石川の知名度が上がらなかったのは、一作目の写真集を発表してからの方向性が、僕のような彼女を自慰用素材とする消費者に伝わらず、以後のグラビアも一作目の焼き直しだったことが、長くつなぎ止められなかったからだと思う。何も露出度を高めることを求めておらず、高校生世代の健康的なエロチシズムをもっと前面に生かしきれていれば、小倉よりも大成していたかもしれないだけに残念だ。

AV入りした自慰用素材③~東琴乃編~

 二〇〇二年のとある休日、何の気なく立ち寄った古書店で、高校生世代の新人グラビアアイドルの写真集を手に取り、その美少女度の高さに吸い込まれて買わずにはいられなくなった。この年を代表するオナペットは磯山さやか福愛美矢吹春奈の名前が挙がるが、彼女たちの二番手グループとして、そしてAVへ転身したその一人として、東琴乃(現・琴乃)を紹介したい。


 パソコンを持っていなかった頃、僕が新人を知る方法は雑誌媒体にかぎられていた。あとは書店で新刊の写真集が売られているかどうかを確認するしかなく、すぐに東のデビュー作「ことだま」を知る機会に恵まれなかった。東は大手レコード会社が企画したアイドルグループの一人で、一期上には小向美奈子もいるほどメジャー級の扱いだったことを今になって知ったが、当時の僕はそんな経歴よりも、自慰用素材にかなうかどうかの基準だけで彼女の写真集を購入した。


 ヤフオク!に出品されている「ことだま」のサンプル画像を見ると、胸の大きめな少女の年相応の佇まいに、「お菓子系」のテイストが感じられ、当時の僕が自慰用素材に用いていたのも頷ける。健全な仕上がりの作品だったので、次作も候補に入れようとしたところ、同じ写真家によって発表された二作目「Help!」は、僕の期待をまんまと裏切ってくれた。「ことだま」の発表から約半年、まだ十七歳にもかかわらず着エロ路線へと舵を切ってしまったからだ。


 東琴乃名義での写真集は二作目までで、琴乃に改名ののちハードな着エロからAVへと進んでいった。「ことだま」の発表から「Help!」の企画、製作までの間に、東自身にどういう心境の変化があったのか。ちょっと生き急いでるんじゃないのか、と僕は「Help!」の表紙を見て訝しんだものだが、自慰用の素材となる高校生世代のグラビアアイドルは次々とデビューしてくるので、東を見限るのに時間はかからず、AV入りしたことを知っても、何の感慨もなかった。


 東のAVでの活動時期は〇七年から〇九年までの約三年間で、大手メーカーの「芸能人」シリーズで人気を博した。グラビアアイドルとしてメジャーデビューしたのだから芸能人にちがいないのだが、僕にとっての芸能人とは幅広い年代層に知られ、芸能スキルに長けている人物だと勝手に解釈しているので、東をそういう括りにするのはやや強引すぎるのではと思った。確かに人前で躊躇することなく水着姿で性的アピールを訴えるのは立派な芸能スキルだが……。


 これも後になって知ったことだが、東はプサン出身の韓国人だという。そうであるなら、僕の自慰人生において唯一の外国人となる。もっとも、僕がお世話になった自慰用素材の中には片方の親や祖父母が外国人というのもいるので、東を唯一と強調するのは語弊がある。性的興奮を高めさせてくれれば、国境や国籍は関係ない。

AV入りした自慰用素材②~石川恵理編~

 十五歳以下の中学生世代、いわゆるジュニアアイドルを初めて自慰用の素材に用いたのは誰かと問われると、真っ先に小向美奈子が思い浮かぶ。当時二十六歳の僕は、中学生を性的対象にすることだけは厳に戒めていたが、幼い顔立ちを残しながらも胸の立体感が露わな小向のビキニ姿に背徳感が抗えず、写真集を買っては自慰にいそしんだ。小向のデビューは、僕のつまらない拘りをいとも簡単にほどかせてしまった。


 基本的に僕の性的対象は十五歳から十八歳までの高校生世代だが、小向のような中学生離れした巨乳美少女の写真集を見つければ、それを買わないわけにはいかなくなる。小向に次いで現れたのが、当時十四歳だった石川恵理で、二作目の写真集「mocha」は現役中学生とは思えぬ発育ぶりに性的想像力を逞しく働かせた。


 石川は二〇〇一年にキー局が企画したアイドルユニットのメンバーとしてデビューし、、翌年には別のキー局の朝の子供向け番組のアシスタントに選ばれるなど、いきなりメジャー級の扱いを受けるほどの華々しい経歴を持つ。僕が買った石川の写真集の帯にも、そうした肩書きが書き並べられていたが、そんなことよりも十四歳とは思えぬ体躯の良さと、年相応の幼さを残す表情とのアンバランスがたまらなく、自慰用素材としては申し分なかった。


 石川は子供向け番組の出演を機に石川エリと改名し、ほかのメンバーとアイドルグループを結成。大手レコード会社に所属と順風満帆に芸能人生を歩んでいくと思いきや、解散から約三年後にセクシー女優に転身し、名義を変えながら約六年間活動した。FANZAで検索しても石川の作品が見つからないのは、どうやら彼女が人権団体を通じて自らの作品の販売停止申請をしたようで、SNS上でもギャランティーのピンハネを訴えていたらしい。


 過去の作品を「なかったもの」にするのは当事者の権利であって、何ら非難されるべきではない。しかし、元メジャーアイドルがAV入りすることの反響をまったく考慮に入れていなかったのなら、一時の気の迷いとはいえあまりにも軽率だったと思わざるを得ない。AVは日本が世界に発信できるクールジャパンの一つだが、甘言を弄して女優を性的搾取する手合いもいる魑魅魍魎な業界であることを、芸能界の酸いも甘いも嚙み分けてきた石川が知らなかったでは済まされない。


 アイドルとしての活動期間中に周囲からちやほやされるのに胡坐をかき、先を見据えた行動ができなかったから所属先に見放され、一般人としてひたむきに生きることなく、AVの道を選んだ。中学生で芸能界入りし、常識を養わないまま大人になってしまった頭の悪い女性の末路と言えばそれまでだが、AV出演で何とか芸能の世界とつながっていたい執念のようなものを感じなくもない。もっとも、石川のセクシー女優名義の作品はすでに市場に流通しなくなっているのだから、彼女の芸能活動は自ら決めたものではなく、大人たちが敷いたレールの上に乗っかっただけのものにすぎない。

AV入りした自慰用素材①~工藤珠琴編~

 オナペットとみなすほどの自慰回数を重ねるまでには至らなかったが、僕が自慰用素材として用いてきたグラビアアイドルの中でAVに転身したのが何人かいる。いずれも本人たちの作品を見たことがない。年端もいかぬ少女の水着姿で散々性欲を発散してきた僕にとって、旬を過ぎたかつての素材の裸身や男優との本番行為を見せられても、性的嗜好とシンクロしないからだ。素人っぽい高校生世代を思わせる作品にはいくらか興奮するが、ギャルのように垢抜けてしまっては興味が湧かない。


 すでに紹介した小向美奈子を除き、僕がお世話になった自慰用素材の中でAVに転身した一人目として、工藤珠琴を挙げたい。工藤は一九九〇年代後半の「お菓子系」アイドルの一人で、僕は神保町かどこかの古書店で彼女が巻頭を飾った「クリーム」のバックナンバーを定価の約四倍で買った覚えがある。そこらへんにいそうなぽっちゃりした佇まいだが、素人っぽさを残すロリータフェイスにたちまち魅了され、ワンピース水着やブルマーといった露出度が低い衣装でも十分性的興奮を高められた。


 工藤のAVデビューはクリームの誌面でも紹介されたほどだが、当時の僕はそのことを知らなかった。今のように種々雑多な情報が即座に手に入る時代ではなかったので、工藤が九八年に柏木綾として数作品を発表したのを知ったのは、もっと後になってからだった。本ブログを書くにあたり、FANZAで“柏木綾”と検索すると、デビュー作の「初恋」を含む単体での三作品が販売されている。古い作品なのでサンプル画像が拡大表示されないのが残念だが、幼さが残る表情と露わになった乳房に軽い性的興奮を覚えてしまう。


 元お菓子系ゆえにブルセラ路線の作品が続き、五作目の「監禁エンジェル」と六作目の「パンスト天使」でロリータ系からの脱却を図ろうとしたものの、六作目をもって引退。AVでの活動は約半年間だった。それだけの短期間にもかかわらず、工藤の作品が二十年以上経った今でも商品として流通しているのは、廃版となったり、販売を取りやめたりした3号ポルノとは対照的だ。若気の至りとはいえ、夫でも恋人でもない男性と絡み合った自らのポルノグラフィが細々と売られ続けているとは、当の本人はどう思っているのだろうか。


 お菓子系で巻頭を飾るほどの人気を博しても、AVで大成しなかったのは、工藤がブルセラの枠から抜け出せなかったからだと思う。ロリータフェイスと十人並みの体躯では、僕のような特殊な性癖を持つ者にしか支持されず、それこそグラビア以上にデビューの間口が広いAVでは、さらにニーズが細分化されてしまう。AVで名前が売れ、トップを張れるのは、グラビアよりも難しいはずだ。


 やはり、僕にとっては高校生世代だった頃の工藤のグラビアのほうが、柏木のサンプル画像よりも性的興奮の度合いが高まってしまい、ネット上の拾い画像を二度見してしまうほどだ。もう六、七年遅く生まれていたら、福愛美のように新興の芸能プロダクションにスカウトされ、写真集を出すこともできたのではないか。お菓子系の“進学先”が即AVだった当時が悔やまれる。

忘れていたオナペット~原史奈編~

 一九九九年の児童ポルノ法施行で「お菓子系」雑誌が休刊に追い込まれたり、十八歳以上のモデルを掲載する一方で、大手出版社が発行する漫画誌では女子高校生のオーディションがさしたる影響もなく続いていた。両者にそんな差異はなく、後者でグランプリを受賞した金田美香が、前者では別名義で水着姿を披露していたのだから、今思うと、性的搾取のレッテルを貼られがちなAV業界や撮影会界隈とのかかわりを持ち、脛に傷を持っていそうな中小出版社が過剰反応のあまり、自ら育ててきたカテゴリーを「なかったもの」にしたのだと思えてならない。

       
 そのオーディションでグランプリを受賞したり、ファイナリストに残ったりしたグラビアアイドルの中には、金田のほかにも福愛美野崎亜里沙寺田有希ら本ブログですでに紹介したオナペットたちもいるが、不覚にも原史奈がいたのを忘れていた。僕は原の写真集を一作目の「days」から三作目の「PURE SWEET」を所持していたから、オナペットとして触れないわけにはいかない。写真集の発売時期から、〇〇年から翌〇一年にかけてお世話になったはずで、今になって思い出すとは痛恨の極みだ。


 原は細身の体躯の割には、胸の立体感が目立ち、僕はそのアンバランスに性的想像力を膨らませた。水着の布面積は大きめだが、ビキニブラ越しに伝わる胸の谷間に劣情が掻き立てられ、自慰を捗らせた。二作目の「ciel」だったか、無防備で仰向けになっている原の腋の下に毛の剃り跡がくっきり見えているのが印象的で、美少女度の高い原の表情と両胸の膨らみを交互に見比べながら性的興奮を最高潮に導かせていたのを思い出す。


 僕が原を自慰用素材に用いていたのは三作目の写真集までだ。成人になった原は着エロ・セクシー路線へと歩んでいったが、僕は次々とデビューしてくる高校生世代の新人を自慰対象とし、彼女にはもう性的興味が湧かなかった。しかし、原が元Jリーガーと結婚(後に離婚)するとの報道を知ったときは、かつてのオナペットたちが人知れず芸能界を去っていき、消息不明になっていることもあってか、頭の中がもやもやするほど複雑な気持ちだったのを覚えている。


 原はグラビア上がりの端役女優で終わると思いきや、NHKのバラエティ番組では劇団出身の個性派俳優とともにシリーズ通じて出演するほどの芸達者ぶりを見せた。僕がお世話になった幾多のオナペットとは違って、原がグラビアだけで終わらなかったのは、どうすれば先輩芸能人に気に入られるかという努力を怠らなかったからだろう。少ないチャンスをものにできるかどうかは、地頭の良さがなければ実現は難しく、原はグラビアアイドルからタレントへと進む椅子取りゲームの数少ない勝者と言えよう。

駆け引き知らずの少女たち

 僕は平成期のほとんどにおいて、グラビアアイドルの写真集やイメージビデオを自慰用の素材に用いてきた。ファンとしてではなくオナペットとして、ひたすら性欲発散のためにそれらを買い求めてきた自己嫌悪と背徳感から、本人と直接会える握手会やサイン会に足を運ぶのを憚った。だから、それらのイベントにどういう人たちが集まって、どのような空間を醸し出しているのかまったくわからない。


 年端もいかない少女が、大勢の大人たちの前で素肌を晒しながら笑顔を振りまくのは相当恥ずかしいはずだ。しかし、それがグラビアアイドルのスタンダートである以上、断れば干されるだけだ。彼女たちはメジャーになるための代償として、水着姿になるのを厭わず、また自分の作品が不特定多数の男性の自慰に使われることもわかったうえで仕事に臨んではみたものの、残念ながらそのほとんどは次のステージへ行けぬまま、人知れず去っていった。


 僕は主に高校生世代のグラビアアイドルにお世話になったが、彼女たちは果たしてグラビアから先の人生設計を立てていたのだろうか。プロダクションに籍を置いたばかりだから、自己主張もできずに社長やマネジャーの言われるがまま右から左へと仕事をこなしていただけではないか。女優やタレントになりたいと夢見ても、経営者側は次から次へと新人をデビューさせるので、セールスが芳しくないのに対しては見切りをつけるのも早かっただろう。


 デビュー時に歌唱力や演技力が要求されないので、プロダクションは器量とスタイルのよい少女を集めるだけでグラビアアイドルを市場に供給できる。半グレ集団のリーダー格が経営していた事例もあることから、女衒のようなモデルの調達能力が求められる。しかし、スカウトに長けていても、タレント育成が欠けていてはグラビアから先に進みたくても進められるはずもなく、少女たちはグラビアの仕事を続けていることに疑問を持ち、所属先から離れていく。


 また、無名のグラビアアイドルは、私生活においてはまだ一般人だ。芸能コースがある都内の高校に通うメジャー級と違って、彼女たちは地元の高校に通いながら芸能活動を両立しなければならず、周囲から好奇の目で見られることになる。保守的な土地柄であればあるほど、心ない人々から誹謗中傷を浴びせられたり、ストーカーまがいの嫌がらせを受けたりすることもあるはずで、それらに耐えきれずにグラビアの仕事を放擲してしまったのもいるだろう。


 グラビアアイドルという定義を確立させたのは、堀江しのぶかとうれいこを世に送り出した野田義治だと思われるが、彼の場合は芸能界での長い付き人経験があったからこそ、その人脈を駆使して新人をいきなりメジャーデビューさせることができた。しかし、二〇〇〇年以降、グラビアアイドルで一山当てようとするメディアもプロダクションも、野田のような敏腕さを欠いていたゆえに、育成ではなく即戦力に偏ってタレントを使い捨て同然で酷使していった。僕もその恩恵にあずかったわけだが、グラビア以外で名を残せなかったオナペットたちを振り返ると、もうちょっと大人との駆け引きができていたらと残念でならない。