僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

メジャーになり損ねた逸材

 僕の二〇〇〇年代は、金曜日の夜になるたびに、仕事から帰るやすぐに郊外のセルビデオ店に向かって素材を探す日課が続いた。牛丼チェーン店やセルフサービスの定食店などで適当に夕食を済ませ、週末の食料品を買い込んでから自室に戻り、写真集やDVDを観賞しながら自慰に励む。それらは常に当たりはずれの連続で、当たりだったら何十回も繰り返し用いるが、はずれの際はいっぺん見ただけで古書店行きとなる。
 幸いにも、僕の行きつけだったセルビデオ店は新刊の写真集にもかかわらず定価の約四割引きで売られていて、よく重宝させてもらった。その後、転居を何度か繰り返し、自慰用の素材もインターネットによるダウンロードが主流となり、セルビデオ店に立ち寄る機会がめっきり減ってしまった。先日、僕が最も性欲旺盛だった〇四年ごろ足繁く通っていた店の近くを訪れてはみたものの、一軒は台湾料理店にテナントが代わり、もう一軒は店舗什器が雨ざらしという無残な状況だった。
 さて、年間最多自慰回数を記録した〇四年のコアとなったオナペットとしてもう一人、島本里沙を挙げたい。石井めぐる川村ゆきえの印象が強すぎて、うっかり島本の存在を忘れてしまいそうだったが、彼女もまた僕の股間を絶えず熱くさせてくれたロリ巨乳系の一人だ。この年まで写真集三作品を発表しているが、僕が購入したのを今でもはっきり覚えているのは彩文館出版から上梓された「RI‐CHA」だ。
 島本は十六歳でグラビアデビューし、ロリータフェイスには不釣り合いな胸の大きさに、僕はすっかり虜になった。胸の谷間をことさら強調したほか、石井や川村も着なかった眼帯ビキニのショットもあり、ソフトな着エロを堪能することができた。高校生世代が惜しげもなく際どい水着姿になり、僕はその写真集を観賞しながら性的な想像力を掻き立てて射精に導く。着衣姿だけでも興奮しそうなのに、惜しげもなく素肌を披露してくれるのだから、本当におおらかな時代だったと言えよう。
 島本は〇八年まで芸能活動を続けていたようだが、十九歳を境に写真集やDVDを発表しなくなった。それまでの作品の売れ行きが芳しくなかったのか、それとも本人がグラビアの仕事を続けることを嫌がったのか、今となっては知るよしもない。確かにまともな羞恥心の持ち主なら、素肌を晒し続け、不特定多数の男性たちの性的対象となり続けるのは耐え難いはずで、川村や原幹恵のような十年選手は極めてまれだ。
 当時は次から次へと十八歳以下のモデルが水着姿になり、週刊誌や漫画誌の巻頭を彩った。島本もその流れに乗りかかろうとしたが、マイナーからメジャーに昇格しきれないま現役を終えてしまった。そのせいか、〇四年のオナペットを振り返る中で、メジャーな素材ばかりに気を取られてしまい、不覚にも島本の存在を忘れそうになった。この場を借りて本人に謝罪したい。