僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

“制コレ”デビューの現在地

 二〇〇四年は、僕の人生で年間最多の自慰回数を記録した年だが、最もよく使わせてもらった石井めぐるでさえ全体の一割強にすぎず、素材をとっかえひっかえしながら回数を重ねていった。雨後の筍のごとく、彩文館出版などから十八歳以下のグラビアアイドルの写真集が発売された時代背景もあり、この年のコアとなったオナペットは、石井と川村ゆきえに加え、野崎亜里沙も挙げられる。
 僕が野崎を知ったのは漫画誌のオーディションで、そこでのお披露目から写真集を発表するまでのスパンが長かったのを覚えている。グランプリを受賞した紗栄子に一切性的興味が湧かなかったのは、グラビアでの露出が少なかったのと、オーディションを単なる踏み台とでしか思っていなさそうな成り上がり臭を無意識に嗅ぎ取り、卑屈なオナニストは彼女を素材に用いることを拒んだ。その代わり、準グランプリの福愛美に対しては思う存分性欲を発散させてもらった。
 福とほぼ似た体躯の野崎がいつ写真集を出してくれるか。僕はずっとその期待に股間を膨らまし続けていた。石井の一作目の写真集「Be―New―」で週末は一日四、五回の固め打ちが日課となっていた頃、野崎の写真集「Arisa」が遂に発売され、僕はセルビデオ店に駆け込んだ。当時、すでに福がオナペットの座から降りていたのも、野崎での自慰を捗らせた。
 野崎は翌年にも二作目「ハズカシイカタチ ナンデモアリサ」を発表し、早くも十八歳でグラビアから足を洗った。現在、ほとんどのモデルが十八歳を過ぎてからグラビアデビューするというのに、野崎はすでにほかの芸能活動に軸足を移していた。本人の意思か所属事務所の方針かは知らぬが、今と違って次から次へと十八歳以下のモデルが水着姿になってデビューする中、グラビアの仕事が瞬間的にしか稼げないとみなしたのだろう。その点では、野崎にとってもグラビアは芸能界を生きていくうえでの踏み台にすぎなかった。
 SNSなどによると、野崎は舞台女優としての仕事を長く続けていたそうだ。福と同様、紗栄子に大きく差をつけられてしまったが、それは彼女たちに芸能界で箔をつけるための図太さや強烈な自己顕示欲を養う能力を持ち得なかったからで、むしろそのほうが健全だと言える。高給取りのプロ野球選手や成り上がりの青年実業家に取り入るのは、紗栄子に天性の男転がしの術を持ち合わせていたからで、こんなのが町中に蔓延っていたら社会は著しくバランスを欠いてしまう。
 紗栄子の生き方に共感していたら、その人々は地に足をつけていない“ふわっと”した生き方に憧れているのかもしれない。常にパトロンを侍らせていそうなのは、それはそれで一種の才能だが、情報商材のような捉えどころのなさが紗栄子の芸能活動であって、少なからぬ支持を集めているのは時代の趨勢と言えよう。しがない男性たちのオナペットとして記憶に刻まれるよりも、現在進行形で公私の充実ぶりをアピールし続けるのを選んだ紗栄子をこれまで一度も素材に用いなかったことを、僕は誇りに思う。