僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

忘れていたオナペット~小向美奈子編~

 これまで平成期のオナペットを年代順に振り返ってきたが、最近になって「そういえば、あの素材でもえらくお世話になったな」と、約三十年間の記憶に漏れがあるのに気づいた。彼女たちには大変申し訳ないと思いつつ、あらてめて本ブログで紹介していきたい。まずは小向美奈子だ。
 

 僕は以前、“巨乳美少女”を初めて具現化してくれたオナペットとして滝沢乃南を挙げたが、それは小向の誤りだ。小向は二〇〇〇年、十五歳でグラビアデビューし、前年の児童ポルノ法施行で壊滅に追いやられたお菓子系に代わる大物素材として、僕の股間を幾度となく膨らませてくれた。今でこそ各方面で話題を提供し、知名度の高い小向だが、デビュー当時はまだマイナー級で、一作目の写真集「Flapping」の版元も英知出版からだった。
 

 同作品は〇〇年十月に発表され、二作目の「Classmate」、三作目の「Squall」とともに僕の手元にあったと思われ、同年から翌年にかけて頻繁にお世話になっていた。〇一年は小倉優子で自慰を繰り返していたことだけが思い出され、小向の記憶は片隅に置かれていたが、ヤフオク!に出品されている彼女の写真集の表紙写真を見ると、おそらく四作目の「MINA―FULL」も所持していたのではないか。そうなると、僕は約二年間、小向をオナペットとして重宝していたことになる。
 

 そんな長い付き合いの中で、最も強く印象に残っているのは、〇一年春の大型連休に北海道へ旅行に行ったとき、青森からの寝台特急の個室で漫画誌のグラビアを用いながら、溜まりかねた性欲を発散したことだ。当時の記憶を辿っていくと、大宮の辺りで性的興奮を高め、グラビアに直接精液を放出し、持ち帰らずに上野駅のごみ箱に捨てたのをかすかに覚えている。
 

 お菓子系雑誌が淘汰され、素材の拠りどころを失っていた僕にとって、小向のデビューは渡りに船だった。素人臭さの残る美少女のグラビアはお菓子系と親和性が高く、しかも巨乳とあって、僕はすぐに虜になった。メジャーになって以降の小向にはいっさい興味がなくなり、覚せい剤所持で逮捕されようと、AV女優になろうと、それらもまた彼女の人生の一部分なのだと同情も批判もする気はない。
 

 児童ポルノ法の改正に伴い、小向のような年端もいかない少女が人前で水着姿になる商業活動は、すでに過去のものになっている。言い換えれば、地元で何者にもなれないませた少女が体一つで芸能界入りし、周囲から散々ちやほやされたあげく、道を踏み外すことも今後起こり得ないだろう。それが業界の健全化といえば聞こえはよいが、これまで3号ポルノを収益としてきたメディアや芸能プロダクションが、何の総括や反省もなく、作品自体を「なかったもの」として絶版扱いするのは、小向らその時代を過ごしてきた少女たちの芸能活動を闇に葬るに等しく、えらく傲慢な気がしてならない。小向に周囲の大人たちと渡り合える処世術が備わっていれば、グラビアアイドルとしての引き際も察することができたはずだが、それができずに今日でも細々と活動しているのは、彼女自身の往生際の悪さとそれを黙殺している芸能界の無責任によって成り立っていると言えよう。