僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

忘れていたオナペット~葉山恵里編~

 二〇〇一年は小倉優子のデビュー写真集「恋しくて優しくて」でひたすら勃起と射精を繰り返していた記憶しか残っていないが、後で振り返ると小向美奈子山吹美奈斗らも性欲発散の受け皿として名を連ねていたから、決して“小倉一強”ではなかった。それは小倉が唯一無比のオナペットだったという黒歴史を幾分修正してくれるとともに、この年の自慰用素材の検証が不十分だったことを意味する。


 僕の場合、写真集やイメージビデオ一作品につき、十回前後で打ち止めになったのは基本的にオナペットとはみなさず、本ブログでも取り上げる気はない。各素材における自慰回数は〇二年から六年間、記録を続けていたが、転居を機にそのメモを処分してしまったので、あくまでも僕の記憶を辿りながら、おそらく十五回以上射精した素材を思い出していかざるを得ない。平成という約三十年間をもう一度回想したうえで、今まで紹介しきれなかったオナペットを挙げていくことになる。


 さて、〇一年は小向に山吹と二人の漏れがあったが、もう一人、葉山恵里にも散々性欲を発散させてくれたことに最近気づいた。葉山は深夜番組の企画としてアイドルを目指すグループの一人(ほかに国仲涼子もいた)で、アイドル写真集のカテゴリーリーダーとも言える彩文館出版からデビュー作「Eri2000/2001」も発表したが、それ以後は目立った活動もなく、僕の幾多のオナペット同様、メジャーになりきれずに芸能界から去っていった。


 唯一の作品はタイトル通り、〇〇年版と〇一年版の二冊一セットの構成になっている。どちらの年か忘れたが、僕は葉山のビキニ姿に妙に興奮し、頻繁にそのページで最高潮に導かせた。当時は児童ポルノ法施行の余波もあってか、高校生世代のグラビアアイドルの供給量が少なく、前に触れた山吹美奈斗と同様、葉山も二十歳前後でデビューしたが、僕はそうした事情を割り切ったうえで彼女たちを自慰用素材に用いた。


 それから約二十年の歳月を経て、あらためてヤフオク!などで出品されている葉山の画像を見ると、「どうしてこんなのにあんなに夢中になったのか」と懐かしさよりも訝しさが先立つ。表情も体躯も十人並みで、過度な露出があるわけでもない。体躯にかぎっては小倉と遜色ないが、高校生世代の彼女がまだポテンシャルを秘めているのに対し、葉山はすでに完成してしまっていて、グラビアアイドルとしての伸びしろが見込めなくなっている。


 つまり、そのときの僕は二十歳前後にしてまだ表情に幼さが残る素材は十分許容範囲だったわけで、山吹同様、葉山に対してもコンスタントに自慰回数を重ねていった。後に高校生世代が次々とグラビアデビューしていく風潮が高まると、葉山らはオナペットとしての役目を終え、使い古した写真集も古書店送りとなった。僕の記憶の中では、結構長く葉山の写真集を所持していたはずだが、所詮高校生世代の良質な素材が現れる前のつなぎにすぎなかった。