僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

江崎まりの思い出

 一九九〇年一月。
 塾の冬期講習の帰りに立ち寄った書店で、僕は「DELUXEマガジンORE」という雑誌を立ち読みし、巻頭の江崎まりに一カ月半前の高橋由美子並みの衝撃を受けた。八九年度のミスマガジングランプリ受賞者で、メジャーデビューへの布石として同じ講談社の媒体でグラビアに挑んだのだが、一学年上のお姉さんとは思えぬ成熟した肢体に、僕はすっかり虜になってしまった。
 周囲を気にしながら、僕は何度も江崎のページを見返して性的興奮を高めた。当時、その雑誌を買えるだけの現金を持ち合わせていたかどうか覚えていないが、自宅内に所持していることへの抵抗感が強かったので、結局買えずじまいだった。それでも江崎をオナペットにしたい欲求は衰えず、高校受験が終わって無事志望校に合格しても、江崎のグラビアが掲載されている雑誌をチェックする日々が続いた。
 アイドルゆえにCDデビューしたが、僕は歌手としての江崎にまったく興味がなく、オナペットとしか見ていなかった。翌年には写真集も発刊したが、当時の僕にはそれを買うだけの金と勇気がなく、手に取るだけで表紙の表裏を見返すだけだった。しかし、写真集が買えなくても、江崎のグラビアが講談社の雑誌に掲載されないことはなかったので、立ち読みの日々は続いた。
 立ち読みによって江崎の肢体を目に焼き付け、それが失われないうちに性欲を発散する。帰宅する前に書店で何度も見返し、途中の小学校の片隅でそれを思い出しながら自慰したこともある。誰かに見つかったら痴漢とみなされ、警察に通報されるほどのリスクを当時は気にせず、僕は制服のズボンを下ろし、目を瞑って江崎の水着姿を思い出し、ペニスをしごいて射精に導いた。自宅が狭く、家族間のプライバシーがなかったことへの反発が、街路灯一つない夜の小学校敷地内での自慰行為に走らせた。
 講談社から発刊された江崎の写真集「VIVAMARI」は、十五年の歳月を経て中古で手に入れた。自慰用の素材はすでに紙媒体から電子媒体へ移行していたが、高校時代に買えなかった無念を晴らそうと、アマゾンで購入した。江崎のむっちりした肢体は相変わらず僕を興奮させてくれたが、水着のデザインや布面積、それに肌の露出はその当時のグラビアアイドルに比べて陳腐さが否めず、三、四回使わせてもらっただけで押入れの収納棚行きとなり、引っ越しの際に処分した。
 江崎はグランプリの看板を背負い、講談社のバックアップでメジャー入りを目指したが、知る人ぞ知るアイドルのまま引退してしまった。たとえ無名で終わっても、僕は欲しくても買えなかった思春期の苦い思い出として、江崎を時折懐かしむ。夜の小学校の片隅で自慰に勤しみ、月明かりが小屋の壁を伝う精液を照らしていたのを、僕は終生忘れることがないだろう。