僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

最高傑作の写真集との邂逅

 僕が石井めぐるを初めて知ったのは、日比谷線の電車に乗ったときに偶然目にした中吊り広告だった。そのグラビアが掲載された写真週刊誌は買わなかったが、名前と顔はしっかり覚えたうえで、写真集の発売を心待ちにしていた。今ならDVDで名の売れたグラビアアイドルのみが写真集を上梓できる“特権”が与えられるが、二〇〇四年当時は写真集からのお披露目が一般的だった。
 僕が三十歳の節目を迎えたちょうどその頃に、石井の一作目の写真集「Be―New―」が行きつけのセルビデオ店で平積みされた。〇四年六月二十五日、ちょうど金曜日の夜だったと思う。自室に戻って早速自慰に勤しみ、射精した際の精液の量がいつもより多めだったのを、今でもはっきり覚えている。翌日、僕は美少女と巨乳の双方を兼ね備え、運動経験者だと思われる体脂肪率があまり高くなさそうな肢体をオナペットに、六度の射精を果たした。一日六回の自慰は後にも先にもその日だけだ。
 以来、翌年春頃まで石井の水着姿で自慰を続ける日々が続いた。〇四年の暮れに二作目「めぐるめぐる」、翌年春に三作目「海風」が発売され、僕はその都度股間を熱くしてきたが、洗練されて垢ぬけていくよりも、やはり一作目の初々しさと何も知らぬままの素肌の露出にはかなわず、自慰回数は二作目、三作目を大きく上回った。僕が今まで手にしてきた写真集の中で一、二を争う最高傑作といっても過言ではない。
 石井の芸能活動は実質五年間で、グラビアの媒体を写真集からDVDへと移した。その頃、僕はすでにほかの素材に夢中で石井への性的興味は失せていたが、新作を重ねるごとに露出度が減り、実用度が下がっているという悪評が漏れ伝わってきた。「Be―New―」と並行して制作されたデビュー作「Pure smile」には到底及ばないとのことで、ブレイクできるかどうかの大切な時期に、僕のようなオナニスト諸氏からの支持が得られず、引退まで中途半端な立ち位置で終わってしまった。
 ほぼ同時期にデビューし、グラビアの仕事に執着し続けていた川村ゆきえとは対照的だが、それは単に石井が芸能界での出世欲を持たなかっただけで、人前で水着姿になることへの恥じらいと馬鹿馬鹿しさを抱きつつ、所属事務所から与えられた仕事を淡々とこなしていたのではないだろうか。一見華やかに見えても、実際にデビューしてみたら“虚業”としての現実を実感し、自らの能力不足も相まって仕事が続けられなくなる。開き直って図太く生きようとするしたたかさも持ち合わせていなかったのだろう。
 それでも、僕は「Be―New―」をメーンに百八十回近く自慰と射精を繰り返した。歴代のオナペットの中でも屈指の高頻度で、性欲発散のピーク期だった三十歳の終生忘れ難い思い出だ。適当な女性と知り合う機会を探そうとせず、ひたすら十八歳未満のグラビアアイドルの写真集を買い求めていたことを、石井に巡り会えたことで決して後悔していない。