僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

スクール水着の理想形現る

 二〇〇八年四月。
 会社を辞め、親会社の社宅を追われた僕は、なけなしの家財道具を実家に送り、しばらく各地を転々とすることになった。収入は途絶え、貯金を取り崩す生活の始まりだったが、不思議と危機感はなかった。ただ、勤め人でなくなった以上、余計に自らを律さなければならなくなり、その一環としてグラビアアイドルのイメージビデオ(IV)の購入を自粛し、保有していたいくつかの作品もすべて処分した。挿入部が裂開したオナホールも無用の長物となり、人通りの少ない夜のごみ集積場にそっと置き去ったのを、今でも鮮明に覚えている。それっきり、僕の自慰手段は今日までオナホールではなく、もっぱら利き手に頼っている。
 IVを処分したことで、この年の自慰回数は前年に比べて激減した。二週間も間隔が空くのもざらで、性欲が高まってどうしようもないときは、漫画誌が運営するグラビアアイドルの専用サイトで月額料金を支払い、週替わりのコンテンツを自慰用の素材とした。外岡えりかと紗綾でお世話になったのを覚えているが、動画に慣れてしまった僕にとって、彼女たちの画像はほんの手慰めにすぎなかった。
 久しぶりに買ったIVの新作は、中山怜香のデビュー作「ピーチ!コレクション」だ。時間つぶしで立ち寄ったセルビデオ店の棚に並べてあったのを見て、ロリ巨乳系の逸材として買わずにいられなくなったからだ。そのときはたまたま実家に戻っていたが、一刻も早く中山を素材に用いたくなり、隣の部屋で両親が寝入っている間にDVDをノートパソコンのディスクドライブに挿入し、胸の立体感がはっきりわかるスクール水着姿で横になってくねくね動く彼女を眺めながら、ひたすらペニスをしごいて射精に導いた。出戻りの身でありながら、実家の自室で自慰するのは自らの不甲斐なさと家族への申し訳なさが先立ったが、昂る性欲に抗うことができなかった。
 中学三年の頃に高橋由美子スクール水着姿のグラビアに衝撃を受けて以来、僕はスクール水着に対するフェティシズムを持ち続けているが、中山のデビュー作でのチャプターは。これまで用いてきた素材の中ではかなり強く印象に残っているほど、僕にとって理想のスクール水着姿だった。素人っぽさを残しながら、それでいていやらしい体つきで不器用にポージングするグラビアアイドルに対し、性欲が昂らないわけがない。二作目の「ピュア・スマイル」も変に垢抜けてなく、台所でのビキニ姿のチャプターを何度も使わせてもらった。
 中山は後にRayとして約五年間、アニソン歌手として活動した。すでに引退しているようだが、ウェブ上に残っているSNSやブログではいっさいグラビアアイドルとしての経歴が記されていない。グラビアが歌手になるための腰掛け仕事だったのかもしれないが、前歴を大っぴらに明かせないところに、当時の高校生世代のグラビアがモデル自身に過度な性的露出を求められていたのが窺える。それは3号ポルノ市場に自主審査機関がなかった弊害と言えよう。