僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

二〇〇七年のロリ巨乳系④~梶浦愛子編~

 十八歳未満の高校生世代が、令和の時代においてグラビアアイドルとしてデビューするのは極めてめずらしい。児童ポルノ法改正に伴い、いわゆる3号ポルノ作品の制作や販売を控える動きが広がり、新作のイメージビデオ(IV)は二十歳を過ぎた、どれも似たような人工的な容姿のモデルばかりだ。3号ポルノへの風当たりが強くなった要因は、モデルの低年齢化と過度な性的露出で、陰毛も生え揃っていないような少女にTバックを履かせたり、下着よりも布面積の小さい水着を着させたりするのは、一消費者として明らかに度を越していると、僕は市場の先行きを危惧した。それにもかかわらず、弱小の制作会社と芸能プロダクションが目先の利益を追求するあまり、人権団体に目をつけられ、ネット通販大手も右へならえで手を引いてしまった。
 業界全体が3号ポルノの制作に及び腰になっているから、そこらへんにいるような素人っぽさの残る少女による水着姿の動画作品は、彩文館出版系列のエスデジタルが年に二、三作品発表する程度にまで衰退しているが、二〇〇年代は飽和状態だった。〇七年十月にデビュー作のIV「愛子のエクボ」を発表した梶浦愛子は、この年を締めくくるのにふさわしいロリ巨乳系のオナペットとして、僕の下半身を絶えず慰めてくれた。
 梶浦は撮影当時十六歳で、浅黒い健康的な肌とビキニからあふれんばかりの乳房に、僕は性的想像力を膨らませた。田舎の海水浴場で友達と一緒にたむろしていそうな胸の大きい少女が、いろいろな水着を着て不慣れながらも性的興奮を煽るポーズを見せてくれるのが、たまらなくうれしかったと同時に、インタビューでの自己肯定感の低さから、かつてお世話になったオナペット同様、メジャーへの階段を一、二段上がっただけで芸能界から去っていくのが容易に想像できた。
 しかし、たとえメジャーになれるモデルでなくても、高校生世代の少女が惜しみなく水着姿になって胸の立体感を強調してくれるのは、約四千円もするIVの対価であって、僕はその元を取るためにひたすら梶浦を汚した。元が取れずに買ってすぐ古書店送りとなった実用性の低いIVを思えば、梶浦のデビュー作はそんな浪費を帳消しにしてくれるほど満足度が高く、繰り返し性欲処理に用いさせてもらった。
 3号ポルノの飽和状態は、かつてのお菓子系雑誌の乱立に似た現象だが、あのときはモデルが素人で、おそらくアルバイト感覚で出版社に出入りし、短期間でグラビアから去っていった。梶浦が十年早く生まれていたら、お菓子系の域に留まっていたはずで、IVを三作品も発表できなかっただろう。そう考えると、新興の芸能プロダクションによる高校生世代のまだ垢抜けていないモデルの囲い込みは、グラビアへの供給源として3号ポルノの市場拡大に寄与した半面、小中学生にも過度な露出を求めたために性的搾取と糾弾されたあげく、高校生世代も割を食らってしまった。消費者である僕たちには何の落ち度もなく、3号ポルノの制作に携わる人々が自縄自縛に陥っただけだ。