僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

モデル上がりのグラビアアイドル

 グラビアアイドルのデビュー作品が写真集からイメージビデオ(IV)にシフトしたのは二〇〇〇年代後半で、出版業界も映像作品に力を入れるようになった。業界大手の彩文館出版はIVの販売を関連会社のエスデジタルが手がけ、市場全体が写真集に比べて約千円高いIVの出版件数を増やし、出版各社は収益の拡大を図った。その分、僕たち消費者の金銭的負担は大きくなり、しかもモデルのインタビューや着衣姿で走り回る姿など実用性に乏しい作品をつかまされることも多く、自慰用素材にかかる支出は年を追うごとに増えていった。
 それでも、写真集からIVへの移行は時代の趨勢で、僕はそれに抗うことなく新作を物色した。〇六年十二月に上京し、神保町のセルビデオ店で見かけた小林優美のデビュー作「Angel Kiss~天使の微笑み~」のジャケットを見たときの衝撃と興奮は今でもはっきり覚えている。競泳水着越しに伝わる胸の立体感、露出度の高いビキニ姿、少女としてのあどけなさが残る表情に、これは絶対「当たり」だと確信した。
 すぐに購入し、僕の予感は的中。この年の年末から翌年の前半にかけて頻繁に使わせてもらった。特に競泳水着姿と水色のビキニ姿のチャプターでの自慰回数は突出していて、そのほかのチャプターも実用性を保っているという構成に、僕はすっかり感心した。そういえば、以前お世話になった古賀さゆりのIVも「Angel Kiss」シリーズだったので、そのレーベル名であるトリコの作品は信用できると思った。
 小林はファッションモデルとしての経歴が長く、十八歳でようやくグラビアデビューしたのが悔やまれる。もし小林が十五、六歳でスクール水着姿でも披露してくれたなら、僕は狂ったように自慰に耽っていただろう。デビュー作で散々お世話になった反動なのか、二作目の「優美十色」にはまったく性的興味が湧かず、その頃は小林よりも若い良質の素材が次から次へとデビューしてくるので、以後、彼女を対象に性欲を発散する機会はなかった。
 小林は〇七年に芸名を宇野優美に改めた。これはUSENの創業者一族の名字を拝借したものだが、その翌年に小林に戻す迷走ぶりを披露。グラビアアイドルとしての器量や体つきは決してほかのモデルと見劣りしていないどころか、彼女らを上回っているのに、発表したIVは三作品のみ。僕の私見だが、ファッションモデル出身というプライドの高さが、グラビアアイドルとして成長していくうえで足を引っ張ったのではないだろうか。〇九年に大手ビールメーカーのイメージガールを務めたのがキャリアハイで、女優としても端役の域を出なかった。
 それでも、寺田有希のように年齢を重ねてからなりふり構わず着エロ路線を志向したり、脛に傷を持つ元IT長者に取り入って自分を大きく見せるようなみみっちいことをしたりせず、グラビアの世界から足を洗ったのは十分潔く、それこそファッションモデル出身のプライドの高さが生かされたのではないだろうか。