僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

“巨乳美少女”の出現

 “巨乳美少女”の判断基準は人によって異なるが、僕にとってそれを初めて具現化してくれたのが、滝沢乃南だったと思う。二〇〇二年十二月に発売ざれた一作目の写真集「はじめましてのなみです」を手にしたとき、顔だけでも十分性欲を発散できるほどの美形の少女が、立派な胸の膨らみを持っていることにひどく興奮し、週末になると一日五回の自慰を繰り返していたのを覚えている。
 この年の最多回数は磯山さやかだとすでに触れたが、彼女のプロポーションが十人並みだったら、そこまで反復利用しなかったはずだ。当時の滝沢は顔、肢体ともに磯山を上回っていて、二作目の「みなさま☆こんにちは」と合わせると磯山を上回ったと思う。しかし、今振り返ると二作品とも印象に残っているカットはなく、ひたすら性欲処理のために滝沢の写真集を眺めていたのだと思う。
 グラビアアイドルの写真集が性欲処理目的なのは言うまでもないが、僕の場合、一作品に対して十回前後使えば飽きてしまい、古書店に売りに出して新しい写真集の原資に充てた。それを何度か繰り返しながら、小倉優子や磯山、福愛美のような何十回も使える素材が現れるのを期待していた。僕が今まで買った写真集は百冊を下らないはずだが、十回以上の壁を越えた素材は十五人前後ではないだろうか。
 その中でも、滝沢は回数的にかなり上位に来ると思われるが、ほかの素材に比べてどのカットが性欲を高めてくれたかと問われたら、返答に窮するだろう。だが、美少女には似つかわしくない胸の膨らみというアンバランスが、僕にとって未開の領域だったのは間違いなく、旺盛な性欲に任せてがむしゃらにそこを汚していったのは確かだ。
 滝沢が小倉や福ほど回数が増えなかったのは、写真集の構成ではないかと思う。一作目、二作目ともに同じ版元と写真家だったのは、作品の単調さと二番煎じを感じさせ、二作目に対する期待が削がれたのは否めない。僕の場合、二作目は一作目よりも用いる回数は少なくなるが、磯山や福のようにモデルによっては一作目が駄作のケースもある。滝沢も二作目が一作目と違う版元と写真家だったら、僕の楽しみ方も変わっていたと思う。
 〇二年を総括すると、前年の勢いを維持していた小倉から磯山への交代劇、秋頃になって福、矢吹、暮れには滝沢と群雄割拠状態となり、僕の性的興奮を高めさせてくれる素材が次々に現われた。僕が寝床にしていた折り畳みベッドには、敷布団の下にそれらの写真集が何冊も敷かれていて、自慰のたびにとっかえひっかえ用いていた。行きつけの古書店は新刊にもかかわらず定価の千円引きで売られていて、飽きれば定価の二、三割で買い取ってくれたから、僕の懐はそんなに痛まなかった。敷布団の下に写真集を忍ばせるのは、自慰用の媒体が写真集からDVDに替わる〇六年頃まで続くことになる。