僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

二〇〇七年のロリ巨乳系②~西田麻衣編~

 漫画誌が運営するグラビアアイドルの専用サイトで、初めて西田麻衣を知ったとき、これまたすごい逸材が出てきたな、と僕は色めき立った。高校生世代の健康的なイメージを保ちながら、ビキニブラトップからあふれんばかりの胸の立体感に、僕は彼女のデビュー作を買わずにはいられなくなった。二〇〇七年六月に一作目のイメージビデオ(IV)「麻衣、はじめまして。」が発売されると、それからしばらくは西田でひたすら自慰に励んでいたと記憶している。
 デビュー作ゆえ、表情に硬さを残しながらも、ビキニ越しに見えるハリのある美しい乳房に、僕の股間はみるみるうちに硬くなり、性欲の発散を急がせた。惜しみなく水着姿になってくれるので、どのチャプターからでも興奮させてくれたが、頻繁に使わせてもらったのは競泳水着姿だ。はち切れそうな乳房の膨らみと、腰のくびれというメリハリのある体つきを競泳水着でぴっちり覆った西田の全身に、僕はたまらなく劣情を掻き立てられ、何度も性的興奮を最高潮に導かせてくれた。
 ビキニ姿も単に海岸を歩いたり、ベッドの上でごろごろしたりではなく、視聴者に性的想像力を喚起させてくれた。例えば、寝室のチャプターでは四つん這いになって胸の谷間を強調し、その流れでベッドの四隅に突起した部分を手でおもむろにいじるのだが、それがペニスをしごいているように見えて、みだらな恋人気分を味わわせてくれた。バスルームのチャプターでは、ただでさえ布面積の小さいビキニを着ているのに、男性の下半身を洗っているような演出も見せてくれた。
 そのほか、濡れたガラステーブルに胸をなすりつけたり、制服を脱いでビキニ姿になったりと、西田の巨乳を最大限生かした名作で、僕はこの作品だけで五十回近く射精した。この勢いを保ちながら、約五カ月後に発売された二作目「Pure Smile」でもっと西田を汚そうと思ったが、これがはずれだった。西田は前作と変わらぬいやらしい体つきだったが、表情はがらっと変わっていた。素人臭さがすっかりなくなり、グラビアの世界にどっぷり浸かろうとする覚悟のようなものが感じられ、それは僕にとって西田をオナペットとして見切るをつける潮時でもあった。
 僕の予感は的中したのか、西田は三十路になった今でも現役のグラビアアイドルとして活動中で、不特定多数の男性の自慰対象になっている。川村ゆきえ原幹恵も引退状態なので、おそらく西田が最古参だろう。僕はデビュー作しかお世話にならなかったから、本稿を書くまで西田の胸がさらに大きくなっていることを知らなかった。デビュー時でさえ89cmだったのに、現在は105cmとより豊かになっている。いまだに第二次性徴が続いているわけでもなく、その原因は推して知るべしだが、そこまで不自然に胸を大きくしてまでグラビアで食べていこうとするとは、よほど芸能界というのは居心地のいい場所なのだろうか。

早すぎたイメチェン

 僕の人生の中で、二〇〇七年ほどグラビアアイドルのイメージビデオ(IV)を買い求めた年はないだろう。あの頃の僕は、毎週金曜日の夜になると隣町の温浴施設に通い、火照った体でロードサイドのセルビデオ店に立ち寄り、高校生世代の新作をチェックした。ジャケットの表裏を見て、「これはいけそうだ」と思ったらレジカウンターに直行。帰宅するや早速視聴を始め、ズボンを脱いで自慰にいそしんだ。
 この年の最多自慰回数を記録したのは、富樫あずさだ。並み居るロリ巨乳系の逸材を差し置いて、美少女系の富樫が抜きん出たのは、ひとえに二作目のIV「天使のあずキッス」が秀作だったことに尽きる。同作品での自慰回数は約九十回に及び、一作品のIVではおそらく自己最多だろう。
 「天使のあずキッス」は、撮影時高校一年生だった富樫の初々しい表情と成熟途上の肢体を余すところなく見せてくれた。かつて僕が夢中になった「お菓子系」グラビアよりも露出度が高まり、かといって着エロのようなやりすぎ感はなく、富樫の健康的な性的アピールに、僕はひたすら性欲を発散した。
 今でも覚えているのは、制服姿で平均台(タイヤだったか?)をたどたどしく歩いているチャプターで、ブラウスから下着(ビキニ?)が透けて見えるシーンがあり、大抵そこからペニスをしごきながら性的想像力を高め、自慰に臨んだ。射精時に多用したのは最後のチャプターで、階段に佇む水色の競泳水着姿から覗える胸の膨らみと富樫の虚ろな表情がたまらなかった。ほかにも、ベッドでごろごろしたり、惜しみなくビキニ姿になってくれたりと、どのチャプターからでも興奮させてくれた。
 まだ十五、六歳だから、グラビアの仕事から足を洗わないかぎりはあと一、二年お世話になるつもりだったが、翌年に発表した一作目の写真集「Clarity~16歳の瞬光~」(晋遊舎)が、とても「天使のあずキッス」での富樫とは同一人物とは思えず、僕はその写真集を三回も使わずに古書店送りにした。健康的な性的アピールは失われ、同年代の少女とは一線を画すほどの富樫の不自然な垢抜け具合に、僕はその域に達するのは時期尚早だと思ったが、それが彼女や所属プロダクションの売り込み方だったのだろう。
 かつての矢吹春奈と似たような経験だが、彼女の場合は高校卒業年齢に達してから雰囲気ががらっと変わったのに対し、富樫は高校生世代の時点でその若さと自然な佇まいを削いでしまったのが、僕にとってショックだった。しかし、消費者はそんな富樫を支持し、彼女も着エロに身をやつしながらもコンスタントに作品を発表し、一五年まで活動し続けた。
 僕は「天使のあずキッス」のクオリティを十八歳まで保ち続けてほしかったが、そのように活動していたら、ほかのライバルたちとの競争に敗れ、引退を余儀なくされたかもしれない。そう考えると、早めのイメージチェンジは富樫の芸能人生にとってプラスに働いたのではないか。どうせ富樫に代わる美少女系グラビアアイドルは次々とデビューしてくるのだから。

二〇〇七年のロリ巨乳系①~愛衣編~

 二〇〇七年に大変お世話になったロリ巨乳系のオナペットを振り返ると、四人ほどの顔と名前が挙がる。デビュー作を発表しただけで消えてしまったのもいれば、今でも現役なのもいる。ロリ巨乳といっても、美少女性とメリハリのある体つきを兼ね備えているのを好み、いわゆる“樽ドル”なる体型は性的興味の対象外だった。どの素材も一作品の写真集やイメージビデオ(IV)で数十回の自慰回数を記録するほど、僕は彼女たちの虜になった。
 まず一人目として、愛衣を挙げたい。地味な巨乳美少女と形容するにふさわしい愛衣は、雑誌のグラビアでデビューし、僕も気になっていたが、一作目の写真集やIVがなかなか発売されなかった。当時の僕は、もっぱら写真集やIVを自慰用媒体としていたので、雑誌の数ページほどのグラビアで射精するのはもったいない気がして、愛衣での自慰は後回しになっていた。
 愛衣のIVデビュー作「空と島と愛衣と」が発売されたのは〇六年九月だが、漫画誌の企画だったため、マイナー志向の僕は購入を躊躇った。翌年になって、良質な自慰素材を見つけあぐねていたときに、同作品を中古で手に入れた。愛衣の美少女性は決して高くなく、どこにでもいそうな顔つきだが、それを補って余りある胸の大きさに、僕の股間はたちまち反応した。
 ビキニ姿のチャプターが多いが、僕が頻繁に使わせてもらったのは、海岸の岩場に佇む緑色のワンピース姿だ。スクール水着を連想させるクラシカルな衣装に、乳房の立体感が際立ち、僕は猛烈に興奮して射精を急がせた。BGMに日本語の歌詞をかぶせているのが気になったが、いつも二分の一倍速機能でじっくり見入っていたので、それを聞かずに済んだ。
 愛衣のIVを買ったのはそれだけで、すでに彼女が高校卒業年齢に達していたので、僕の性的興味も薄れた。愛衣はその後、写真集を四作品、IVを七作品発表。グラビア以外に目立った活動もなく、実働約五年で芸能界を去った。もう少し早くデビューしてたら、と思わせるほどの逸材だったのは間違いなく、もっと初々しかったら石井めぐる滝ありさに迫る自慰回数を記録していただろう。
 愛衣は引退するまで着エロに身をやつさず、デビュー時とほぼ同じ露出度とおっとりした佇まいを保ち続けた。それがロリ巨乳系にとってのメリットで、ビキニ姿で胸の立体感が露わになれば男性を簡単に興奮させられるし、痛々しさも伝わってこない。ただ、それが芸能界で長く通用するかどうかとなると別問題で、結果的にグラビア以外の活路が開けなかった。
 しかし、愛衣が日本のグラビアアイドル史に名を残したのは揺るぎない事実で、僕もお世話になった義理を果たす意味で、彼女の記憶をここで書き残しておきたい。

高学歴グラドルでの違和感

 僕は学歴厨ではないので、他人の出身校にはあまり興味がない。しかし、僕がこれまでお世話になってきたオナペットの中で、最も高学歴と言えるのは二〇〇七年二月に写真集「最初のありさ」(彩文館出版)でデビューした、黒田有彩ではないだろうか。都内の難関国立女子大学に通う学生という肩書きよりも、自慰素材として使える器量と体つきを感じ取ったので、迷わず写真集を購入した。高校生世代のグラビアアイドルでの自慰がメーンだったので、たまには大学生で性的興奮を高めてみようと思った。
 作品自体は、下乳を見せたり、布面積の少ない水着を着たりとデビュー作らしからぬ大胆さを感じ取ったが、黒田の表情がどこかぎこちなく、かといってそれが僕の性欲を高めさせてくれるほどの戸惑いや恥じらいではなく、真に拒絶しているように見えて、自慰回数は当初の予想を下回り、古書店送りとなった。ただ、黒田が良質の素材であることは間違いなかったので、写真集と同時制作されたイメージビデオ(IV)「有彩色」で、再度彼女を堪能してみたくなった。
 結果として、「有彩色」は僕の性欲発散を大いに捗らせ、写真集は単にカメラマンの技量不足にすぎなかった。その勢いで、二作目のIV「メビウス」も購入するほど、僕は黒田に夢中になったが、当時のほかのオナペットに比べると、彼女の内面に秘められている知性の塊のようなものが映像越しに伝わってきて、それは本気で仕事をしていないようにも見えて、僕の性的興奮の昂進を鈍らせた。黒田並みの器量のグラビアアイドルは次々とデビューしてくるので、飽きるのも早かった。
 似たような経験として、同じ年に沢菜々子というグラビアイドルもデビューしたが、彼女も関西の公立大学に通う学生だった。漫画誌で初めて沢のグラビアを見たとき、僕は絶対に彼女の写真集かIVを買おうと決め、翌年、二作目のIV「ずっと前から…」を手に入れたが、五回も使わずに古書店行きとなった。沢自身はビキニ姿を披露したり、挑発的なポーズを見せてくれたりしたが、やはり黒田と同様、本気さが伝わってこないから、僕の股間の反応も鈍かった。
 人前で肌を露出させ、しかもカメラ越しの不特定多数の視聴者を射精に導かせる仕事は、半端な気持ちではできない。しかも、撮影に臨むうえで何もかも吹っ切れていないと、僕自身もすべてをさらけ出して自慰ができない。当時の黒田にしろ沢にしろ、グラビアの仕事を蔑視とまではいかないが、多かれ少なかれ嫌悪感を抱いていのではないか。僕はそれを感じ取り、彼女らでの自慰には常に違和感があった。
 黒田は、YouTubeで宇宙関連のチャンネルを自ら開設。地道に活動しているが、現在進行形の黒田よりも、違法アップロードとされる「有彩色」のほうがはるかに再生回数が多いのは、彼女の需要が知的好奇心ではなく、性的興味が根強いことの表れだ。宇宙関連とはいえ、その道の専門家はいくらでもいるわけだし、インターネットしか拠りどころのない視聴者相手に博識を披露しても、グラビア同様、空回りに終わってしまうのではないか。

モデル上がりのグラビアアイドル

 グラビアアイドルのデビュー作品が写真集からイメージビデオ(IV)にシフトしたのは二〇〇〇年代後半で、出版業界も映像作品に力を入れるようになった。業界大手の彩文館出版はIVの販売を関連会社のエスデジタルが手がけ、市場全体が写真集に比べて約千円高いIVの出版件数を増やし、出版各社は収益の拡大を図った。その分、僕たち消費者の金銭的負担は大きくなり、しかもモデルのインタビューや着衣姿で走り回る姿など実用性に乏しい作品をつかまされることも多く、自慰用素材にかかる支出は年を追うごとに増えていった。
 それでも、写真集からIVへの移行は時代の趨勢で、僕はそれに抗うことなく新作を物色した。〇六年十二月に上京し、神保町のセルビデオ店で見かけた小林優美のデビュー作「Angel Kiss~天使の微笑み~」のジャケットを見たときの衝撃と興奮は今でもはっきり覚えている。競泳水着越しに伝わる胸の立体感、露出度の高いビキニ姿、少女としてのあどけなさが残る表情に、これは絶対「当たり」だと確信した。
 すぐに購入し、僕の予感は的中。この年の年末から翌年の前半にかけて頻繁に使わせてもらった。特に競泳水着姿と水色のビキニ姿のチャプターでの自慰回数は突出していて、そのほかのチャプターも実用性を保っているという構成に、僕はすっかり感心した。そういえば、以前お世話になった古賀さゆりのIVも「Angel Kiss」シリーズだったので、そのレーベル名であるトリコの作品は信用できると思った。
 小林はファッションモデルとしての経歴が長く、十八歳でようやくグラビアデビューしたのが悔やまれる。もし小林が十五、六歳でスクール水着姿でも披露してくれたなら、僕は狂ったように自慰に耽っていただろう。デビュー作で散々お世話になった反動なのか、二作目の「優美十色」にはまったく性的興味が湧かず、その頃は小林よりも若い良質の素材が次から次へとデビューしてくるので、以後、彼女を対象に性欲を発散する機会はなかった。
 小林は〇七年に芸名を宇野優美に改めた。これはUSENの創業者一族の名字を拝借したものだが、その翌年に小林に戻す迷走ぶりを披露。グラビアアイドルとしての器量や体つきは決してほかのモデルと見劣りしていないどころか、彼女らを上回っているのに、発表したIVは三作品のみ。僕の私見だが、ファッションモデル出身というプライドの高さが、グラビアアイドルとして成長していくうえで足を引っ張ったのではないだろうか。〇九年に大手ビールメーカーのイメージガールを務めたのがキャリアハイで、女優としても端役の域を出なかった。
 それでも、寺田有希のように年齢を重ねてからなりふり構わず着エロ路線を志向したり、脛に傷を持つ元IT長者に取り入って自分を大きく見せるようなみみっちいことをしたりせず、グラビアの世界から足を洗ったのは十分潔く、それこそファッションモデル出身のプライドの高さが生かされたのではないだろうか。

美少女→着エロからの現在地

 僕の自慰素材はロリ巨乳系と美少女系を使い分けているが、たとえ美少女系とはいえ、ある程度の胸の膨らみがなければ性的興奮が湧かず、長くお世話にならない。僕の美少女系ルーツは高橋由美子に始まり、お菓子系小倉優子福愛美らこれまで紹介してきたオナペットに受け継がれている。二〇〇五年下期から〇七年にかけては、寺田有希がそこにすっぽり収まった。
 〇五年九月に発売された一作目の写真集「大好き‼」は、表紙のスクール水着姿が実に初々しく、過度な露出はないものの、当時十六歳の美少女がビキニ姿になってくれただけで、僕の性欲発散は捗った。漫画誌のオーディションでグランプリを受賞したにもかかわらず、積極的にグラビアに挑む姿勢が興味深く、寺田とは長い付き合いになるだろうと次作の発表を心待ちにしていた。
 当時はちょうど写真集からイメージビデオ(IV)への移行期で、それに順応するかのように「大好き‼」で味を占めた僕は、寺田のIVを躊躇なく購入した。最初に買ったのは「アイドル解体新書~私の取説~」で、制服やワンピースの着衣姿で性欲を昂進させたのち、ビキニ姿のチャプターでペニスを強く刺激させ、射精へと導く。今でもヤフオク!に出品されている当該作品のジャケット写真を見ても、ビキニブラトップから覗える胸の膨らみに軽く興奮してしまうほどだ。
 次作の「99%」「摘みたての朝」も買った記憶はあるが、徐々に露出が控えめになり、捨てチャプターいわゆる実用性に乏しい映像が増えてきたので、「大好き‼」や「アイドル解体新書」ほどの満足感が得られず、それに次から次へと寺田並みかそれ以上の器量とスタイルを持つ新人がデビューしてくるので、彼女への性的興味も薄れてしまった。〇〇年代はグラビアアイドルの新陳代謝が本当に激しかった。
 寺田は髪型を変えたり、着エロ路線を志向したりとどグラビアの仕事を続けてきたが、それも女優の仕事が軌道に乗れなかったゆえの反動と言えよう。かといって手ブラやセミヌードを披露しても、それで歓喜するのは寺田のファンだけで、彼女をオナペットとしてでしか見ていない僕にとっては、「ああ、年を取ったんだな」と痛々しさが残るだけだった。
 大手芸能プロダクションから独立した(クビになった?)寺田は、今では堀江貴文に取り入って食いぶちを稼いでいるようだ。SNSでやたらとフリーランスを強調して、「対峙力」なる著書も出版。堀江とつるんだおかげで、手ブラ女子からベンチャー女優なる意識高い系女子へと様変わりできた。SNSで公開している寺田の表情や佇まいは、情報商材のような胡散臭さが垣間見え、「大好き‼」の頃しか知らない僕からすれば隔世の感がある。それは夢だけを追い続けていた少女から手練手管に長けた女性に良くも悪くも成長した証であって、寺田にとって芸能人としての執着心が強いことの表れでもある。たとえ脇道へと大きく逸れていても……。

実用性を欠いた写真集~永岡真実編~

 写真集市場において、高校生世代のグラビアアイドルのデビュー作を率先して上梓した彩文館出版には、僕もこれまで大変お世話になったが、中には「はずれ」を引いて即古書店行きのもあった。自慰を始めても性的興奮が高まらない、いわゆる実用性を欠いた作品で、素材としては歴代のオナペットとひけを取らないはずなのに、撮影時の衣装や演出に興ざめしてしまい、自慰回数が増えるどころか、その作品を使うのも嫌になるほど、僕の中では駄作と位置づけられた。
 二〇〇五年七月に発売された、永岡真実「真夏の実」がその一つだ。当時、僕がどうやって永岡を知ったのか覚えていないが、おそらく雑誌のグラビアで写真集発売の告知があって、そこから興味を持ったのだろう。まだ十五歳なのに成熟した体つきで、僕の期待度は急速に高まったが、いざ手にしてページをめくってみると、あまりの実用性の乏しさにがっかりしながらも、何とか所期の目的だけは果たした。
 「真夏の実」がなぜ実用性に乏しかったというと、本作品での永岡の表情や佇まいからエロチシズムが感じられなかったからだ。たとえ胸が大きくても、あまりにも外見が幼すぎて、大人への背伸び感がないままで被写体に収まったから、汚す側としては感情移入に戸惑った。所属プロダクションの指導や撮影現場の雰囲気でいくらでも変われるはずなのに、当時の永岡は運動選手が水着を着ているように見えて、僕の股間も反応するのに手間取った。
 以降、永岡はコンスタントに写真集とイメージビデオ(IV)を発表したが、僕は一作目の負のイメージから脱しきれず、それにロリ巨乳系は彼女だけでなく、ほかにも逸材が揃っていたので、僕の視界には入らなかった。ただ、YouTubeで永岡の着エロまがいの挑発的な動画がアップロードされているのを見て、その片鱗を一作目でも見せてくれればよかったのに、と「真夏の実」を買ったときの苦い記憶を思い出した。
 あの頃は石井めぐる滝ありさの双方で自慰回数のマッチレースを繰り広げていて、そこから大きく引き離された形で疋田紗也らが追走。完成度の低いロリ巨乳系が入り込む余地はなかった。むしろ永岡と同学年で、この年の九月にデビュー作「大好き‼」(彩文館出版)を発表した寺田有希のほうが僕にとって実用性に富み、翌年にかけてもIVを購入するほど性欲発散に寄与してくれた。寺田については、いずれ本稿で取り上げなければならない。
 購入前の期待度が高かったわりに、中を開いてみるとコレジャナイ感が高かったのはIVに顕著で、写真集は少ない。だからこそ、実用性に乏しい作品とモデルは十五年以上経った今でも鮮明に覚えている。表裏の表紙や帯の写真を十分確認して財布の紐を緩め、自室に戻って外装ビニールを破り、数ページめくったときにふつふつと湧いてくる違和感を溜め込みながらも、何とか射精に導こうとしたのは、約三千円分の対価を得るための作業だったのではないか。